よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)14

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 一同は度肝を抜かれ、静まり返っていた。
 しばらくして、一人の漢(おとこ)が手を挙げる。
「ひとつ、よろしいでしょうか」
 口を開いたのは、頼重の叔父にあたる諏訪満隣(みつちか)だった。
「続けられよ」
 晴信は話を促す。
「質問というよりも、お願いにござりまする。われらは諏訪宗家に連なる者として、千代宮丸様の後見に加えていただくことを希望いたしまする。後見人が武田家の方々ばかりで、諏訪の者が入らぬというのは、少々まずかろうと思いまするが」
 申し出た諏訪満隣に、晴信は射抜くような眼差しを向ける。
「満隣殿は、余の話が理解できなかったとみえるな」
「えっ!?」
「有り体に申せば、諏訪宗家の血筋に連なるから千代宮丸の後見に立てるという考えそのものを捨てよと申したはずだが。その意図が汲み取れなかったのであろうか」
「…………」
「諏訪宗家の血筋に連なる者ならば、千代宮丸ひとりがいれば充分。あとは叔父である余と武田家が守(も)り立ててゆくからだ。逆に申せば、状況を悪化させた諏訪頼重の罪の一端は、それを止め得なかった諏訪宗家の縁者にもあると言わざるを得ぬ。さように思うたゆえ、こたびの始末となった。されど、どうしても満隣殿が千代宮丸の後見に立ちたいと申すならば、一考の余地がないわけではない。それなりに忠義の証(あかし)を立ててもらえるのならば、加わることもやぶさかではないということだ」
 晴信の言葉には鬼気迫る迫力があった。
「……その忠義の証とは……たとえば、いかような」
「先ほど申した通り、上伊那衆の仕置において武功を上げればよいのではないか。こたび、余は高遠頼継や藤澤頼親を許すつもりはない。もちろん、その手先となった諏訪西方(にしかた)衆もだ。その中において、最も手っ取り早い武功は、高遠頼継の首級(しるし)を挙げてくることだと思うが。この評定が終わった途端、われらは上伊那衆の追撃に入る。その先陣を担ってはいかがか、満隣殿」
「…………」
「されど、高遠頼継の首級は、ここにいる板垣信方が挙げると言い張っているのだ。かの者は武田一の武辺者であることに加え、武田一の頑固者でもあるゆえ、なかなか他人には高遠討伐の先陣は譲らぬと思う。どうだ、板垣。満隣殿が先陣を担いたいと申し出たら、譲る気はあるか?」
 晴信に水を向けられた信方は薄く笑いながら答える。
「それがしは生来の頑固者ゆえ、すぐには首を縦に振りたくはありませぬ。されど、御屋形様の御下命があれば、仰せのままに」
「ふむ、さようか。さて、いかがなされる、満隣殿?」
 問いかけられた諏訪満隣は口をへの字に曲げて黙り込む。
 しばらく俯(うつむ)いて思案していたが、覚悟を決めたように顔を挙げる。
「……せ、先陣に、お加えいただきたく存じまする」
 曲がりなりにも諏訪宗家の血筋に連なる者の意地だった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

Back number