第三章 出師挫折(すいしざせつ)19
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「まあ、そなたは大井の御方様がご出産なさる時まで御側で警固をしていたのだから、その直感はあながち外れていまい。問題は、その娘が諏訪頼重の隠し子だということにつきる。さりとて、御屋形様が初めて自ら懸想なさった相手を無下にすることもできぬ。家中で話を広げるわけにもいかぬし、ここは慎重に事を進めるべきだな。娘の存在を最初に嗅ぎつけてきたのは、跡部(あとべ)であったな?」
「ああ、そうだ」
「では、跡部を加え、三人で隠密に対処を話し合わぬか」
「されど、若は?」
「まずは御屋形様抜きで話し合った方がいい。結果がどうなるにせよ、しばらく御自身の気持ちと向き合っていただいた方がよかろう。むろん、娘の処遇をわれらが勝手に決めることはできぬゆえ、最後はわれら二人で御屋形様とお話をせねばならぬだろうな」
「そうだな。あと、もうひとつ」
「なんだ?」
「三条の御方様の侍女頭、常磐殿がそれがしの処に参り、このところ久しく若のお渡りがないと苦情を言われた。諏訪に側女でもできたのではないか、とな」
「御方様は、麻亜という娘の存在を知っておられるのか?」
「いや、知っているはずがないのだが」
「ならば、単に寂しさゆえのことか。げに怖ろしきは、女人の勘ということだな」
原昌俊は顔をしかめながら笑う。
「そうなのだ」
「御屋形様と三条の御方様の仲は、太郎様の誕生もあり、実に睦まじい。それも含め、対処を誤るわけにはいかぬ」
「この身も同じ考えだ。そなたと早めに話ができてよかった」
「では、そろそろ御屋形様を起こしにまいろうか。新府へ戻っていただかねば、下の者が右往左往する」
「そうしよう」
信方と原昌俊は、二人が寝ている室へと向かった。
起こされた晴信は原昌俊の姿を見て驚く。
「……か、加賀守(かがのかみ)……いま何刻(なんどき)か?」
「午(ひる)過ぎにござりまする。今朝、御屋形様がおられぬと近習どもが騒いでおりましたので、おそらくこちらではないかと思い、勝手に馳せ参じてしまいました。お許しくださりませ」
「……あ、いや、……こちらこそ、すまぬ。朝には戻るつもりでいたのだ。それがつい、寝入ってしまって……。すぐに新府へ戻る」
晴信は頭を搔きながら立ち上がる。
「御屋形様、ごゆるりと戻られても大丈夫にござりまする。こちらにおられることは、すでに早馬で伝えてありまする。皆、諏訪の仕置が佳境に入っていることは心得ておりますので、残務のことなどはご心配なく」
「さ、さようか……」
そう言いながら、それとなく隣にいる信方の顔色を窺(うかが)う。
――あの話は、二人だけの秘密にござりまする。
信方はそんな意味をこめたすまし顔で座っているだけだった。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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