第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)6
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「かたじけのうござりまする。嚮導(きょうどう)役にこの多目元忠を付けますゆえ、地勢などについて何なりとお訊ねくだされ。この後、ささやかながら歓迎の席をご用意しておりますので、御殿曲輪へお移りいただきまする。是非に、一献、傾けましょうぞ」
北条綱成は人懐こい笑みを浮かべて言った。
その後、両家が車座になる酒宴が開かれ、双方の武将が和やかに時を過ごした。
翌日、義信を中心に武田勢だけで具体的な策が練られる。
「西からの進軍とならば、まずは小幡の国峯城へ入り、そこから高田城、後閑城、榎下城と順に攻め落としていくしかないな」
「されど、若。城の各個撃破となれば、当初予定していたよりも時がかかりまする。てっきり、箕輪城に真っ直ぐ攻め寄せると思うておった」
飯富虎昌が眉をひそめながら言う。
「仕方があるまい。地勢からすれば、東西からの挟撃策は理に適っておる。一日一城のつもりで、とにかく力攻めしていくしかない」
「攻める前に、小幡憲重を通じて降伏の勧告を行っては、いかがにござりまするか」
馬場信房が策を具申する。
「かの者ならば、各城の主とは顔見知りのはず。まずは小幡の名義にて各城に降伏を勧める書状を送り、その間にわれらが城攻めの支度にかかってはいかがにござりましょう」
「それがよいかもしれぬな。すぐに小幡憲重へ早馬を飛ばしてくれ」
義信は内藤昌豊に命じる。
「承知いたしました」
「われらは明朝、ここを出立する。各々、抜かりなきよう支度を進めてくれ。それがしは綱成殿にこの件を伝えてくる」
義信は飯富虎昌を伴い、北条綱成を訪ね、出立の挨拶を行った。
この日の午後、国峯城から小幡信実が駆けつける。策の子細を聞いた後、すぐに城へ戻り、降伏勧告の手配りをした。
翌朝、義信が率いる一万余の軍勢が鉢形城を進発し、夕刻前に国峯城に到着する。少し遅れて城を出た北条綱成の軍勢は神流川(かんながわ)と鏑川(かぶらがわ)を越え、倉賀野城を睨む山名八幡宮(やまなはちまんぐう)に陣を構えた。
義信は一日だけ降伏勧告の返答を待ったが、その間に事態が急変する。
北条勢の侵攻と武田勢の与力を知った長野業正は、手早く箕輪衆八千余をまとめて箕輪城から出陣する。武田勢が国峯城に入ったことを知ると、高田繁頼、新田信純、安中忠政は城を出て、箕輪衆の軍勢に合流した。
榎下城で兵をまとめてから、長野業正は半里先の瓶尻(みかじり/人見原〈ひとみがはら〉)に布陣する。このため戦の様相が大きく変わり、緒戦は予定していた城攻めではなく野戦となった。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。