よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)15

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 信方が率いる一隊は甘利虎泰の隊と動きを合わせ、周囲を警戒しながら慎重に進む。
 千曲川を渡ってしまえば、斥候(うかみ)の兵から報告があった敵陣の場所までは一里(四`)ほどである。半刻(一時間)もかからずに到着できるはずだった。
 ――雪が降ったせいかもしれぬが、地面がだいぶ泥濘(ぬかる)んでいる……。
 愛駒の足許からそんな感触を受け取っていた。
 ――さて、どの辺りで物見を出すか。
 信方は随行してくれた厳峻坊(げんしゅんぼう)に訊ねる。
「厳峻殿、この辺りに兵を入れられそうな寺社はあるか?」
「ちょうど、この先の下之条(しものじょう)に若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)という社がありまする。そこならば、兵を入れられるかと」
「さようか。では、案内を頼む」
「承知いたしました」
 厳峻坊の嚮導(きょうどう)で、信方の一隊は若宮八幡宮に向かった。
 その社に兵を入れてから物見を放ち、同時に甘利虎泰のところへ使番を走らせる。
 しばらくして物見が戻り、敵陣についての報告を行った。
 それによれば、昨日と同じく浦野川(うらのがわ)と産川(さんかわ)が分岐する場所に柵(しがらみ)や逆茂木(さかもぎ)が構えられており、番兵らしき人影も蠢(うごめ)いているという。
 ――やはり、村上の先陣か。されど、二つの支流に挟まれた平地に野戦陣を置くとは、いかにも面妖な構え。攻め易しとみせかけて、手前の産川は思うたよりも深いのか?
 そんな疑問を抱き、信方は厳峻坊に訊ねる。
「御坊、産川というのは、川底が深く水嵩(みずかさ)が多いのであろうか?」
「……いいえ、産川も浦野川も、大した川幅も水嵩もありませぬ。それに今は玄冬の水涸(みずが)れで、雪解け頃の水量とは比べものになりませぬ」
「さようか。もうひとつ、産川の付近に足場として使える寺社はないか?」
「それならば、ここから真南に半里(約二`)ほど行ったところに観音寺(かんのんじ)がありまする。そこならば、産川の対岸が窺え、そこそこの本堂がありますゆえ野営ぐらいには使えましょう」
「さすがに詳しいな。実に助かる」
「お役に立てれば本望にござりまする」
 厳峻坊が目を伏せ、頭を下げた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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