第四章 万死一生(ばんしいっしょう)15
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
――罠があろうとなかろうと、怖気(おじけ)づいている場合ではなかろう。ここまで出張ってきたのだ。一気に攻め入って村上の先陣かどうかを確かめてくれようぞ。
信方は急襲を決意した。
標的を定めてからの動きは素早く、一隊は迅速に南へ移動して観音寺へ入る。足場を固めてから、信方は自ら偵察すべく西側の産川方面に出向いた。
そこは思った以上に見晴らしの良い平地であり、敵陣らしき備えもはっきりと目視できる。産川の水嵩も少なく、渡河に難儀するとは思えない。
――かような野戦ならば幾度となく経験してきた。一見しただけで、攻め入ることが難しくないと判断できる。これは余計な時をかけぬ方がよい。とにかく甘利にだけは奇襲を伝えておこう。
信方は使番の工藤(くどう)祐長(すけなが)を呼び、甘利虎泰への伝言を託す。
「半刻(一時間)後に産川の対岸へ攻め入る。後方の位置取りについては、そなたに任せると伝えてくれ」
「はっ!」
工藤祐長は後詰(ごづめ)を担う甘利虎泰のところへ向かった。
当の甘利虎泰はすでに千曲川を越え、上田原の中之条(なかのじょう)へ進んでいた。
信方の一隊が下之条の若宮八幡宮へ入ったと聞いてから、尼ヶ淵砦との中間に当たる場所まで駒を進めていたのである。そこが下之条だった。
――ここならば、東山道(とうさんどう/保福寺道〈ほふくじどう〉)を北西に進み、駿河守殿が陣取った場所へ四半刻(三十分)もかからずに駆け付けることができる。本陣や先陣から、だいぶ離れてしまったが致し方あるまい。
そう思いながら、甘利虎泰は周囲を見回す。
辺りには民家がまばらに見えるだけで、人の気配もない。おそらく住民たちは戦が始まると知り、どこかへ避難しているのだろう。見晴らしが良く、敵が現れれば一目瞭然だった。
それは同時に、自軍の姿も周囲に晒(さら)しているということだった。
とにかく信方からの一報があり次第、すぐに動ける態勢を取るために作陣もしていなかった。
――こたびは玄冬の出陣ということもあり、思うたよりも難しい戦になってしまったようだな。八千余の軍勢が四方八方に散らばり、いま本陣には二千弱の兵しかおらぬが、御屋形(おやかた)様と加藤殿がいれば心配はなかろう。それに著しく成長された信繁様もいる。もはや傅役(もりやく)などいらぬくらいに……。
甘利虎泰は思わず眼を細める。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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