よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)15

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「続けよ」
「東の奇襲は意外でしたが、蒼久保の掃討よりも、やはり駿河殿の上田原が最大の急場になるのではありませぬか」
「そうであろうな。されど、板垣が西へ出張ったことで戦場が歪んだとは思わぬか」
「確かに。されど、駿河殿が死活の急所を読み間違えるとは思えませぬが」
「この急襲は神速を尊ぶの戦いか?」
「おそらくは」
「ならば、戦の大局が揺れ動くな」
「揺り動かすために、駿河殿が出張ったと考えまするが」
「そなたがそう思うのならば、間違いなかろう。先陣が間延びした是非は問うまい」
 晴信は脳裡(のうり)の暗雲を振り払うように首を振った。
「兄上、歯痒(はがゆ)うござりまするか?」
「……歯痒くないと言えば嘘になる。この戦、余りに手応えがなさすぎ、少々戸惑っているだけだ。このまま、だらだらと続きそうならば、手仕舞いも考えねばならぬ」
「はい」
「されど、板垣が膠着(こうちゃく)を打開するために動いてくれたのだ。もう少し様子を見よう」
「はい。仰せの通りに」
 信繁と話をしたことで、晴信の重圧が少しだけ軽減したようだ。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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