第四章 万死一生(ばんしいっしょう)15
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
――信繁様は新府の留守居役を命じられていた間も深く兵法を学ばれ、槍の稽古も怠らなかった。いや、人に倍する修学と鍛練を己に課されていた。その進捗は凄(すさ)まじく、兄上であらせられる御屋形様を凌(しの)ぐほどだ。御父上の信虎(のぶとら)様が溺愛してやまなかった素質がまさに開花しつつある。信虎様がおられた時はどこか兄上に遠慮し、信繁様はやりたいことを控えておられた。されど、信虎様の呪縛から解き放たれた時から、見違えるように生き生きと修学や鍛練に励まれるようになった。まったく皮肉なものだ。
それが傅役としての実感だった。
――あの聡明な御兄弟がいれば、本陣は安心だ。余計なことを考えず、目先の戦いに集中せねばならぬ。
甘利虎泰は気合を入れるように何度か両頰を叩(たた)く。
そこに一騎の若武者が駆け込んでくる。
信方の伝言を携えた工藤祐長だった。
その一報を聞いた途端、甘利虎泰の表情が一気に険しくなる。
「源左衛門、駿河守殿が入った観音寺はどのぐらい離れておるか?」
「半里ほど、かと」
「真っ直ぐ西の方角でよいのだな?」
「さようにござりまする」
「半刻(一時間)後に急襲か。駿河守殿にしては、ずいぶんと性急だな……」
虎泰が微かに眉をひそめる。
「……源左衛門(げんざえもん)、半刻以内にその足で各所を回れるか?」
「仰せとあらば」
「では、科野総社の豊後殿、本陣の御屋形様、蒼久保の鬼美濃、後詰の大屋(おおや)の順で回ってくれ。この話が行き届かねば、皆の動きが散漫になる恐れがある。これ以降は常に味方の気配を背中で感じながら動かねばならぬ」
「承知いたしました」
「では、行け!」
「はっ!」
工藤祐長は一礼し、走り去る。
その背に刺した旗指物を見ながら、 虎泰が顎鬚(あごひげ)をしごく。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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