第四章 万死一生(ばんしいっしょう)15
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
――観音寺まで少し間合を詰めるか。それとも、小牧山を警戒し、ここに留まるか。……戦場でなによりも己の直感を大事にする鬼美濃ならば、いかような選択をするであろうか?
甘利虎泰がそんなことを考えていた頃、鬼美濃こと原(はら)虎胤(とらたね)がいる蒼久保の龍洞院(りゅうどういん)に飯富虎昌の一隊が到着していた。
「美濃守殿、お待たせいたしました。虎昌、ただいま御加勢にまいりました」
「兵部、待ちわびたぞ。されど、加勢よりも、ここで留守居をせよ」
「へっ?」
「この龍洞院に再び敵が入ると面倒だ。それがしが次の獲物を探しに行くゆえ、うぬはここを死守せよ」
「……さ、されど、手分けをして、ここいら一帯の寺社を虱(しらみ)潰しに探すのでは?」
飯富虎昌が驚いた面持ちで訊く。
「闇雲に動いても無駄足になるだけだ。それに、だいたいの見当は付いておる」
原虎胤は疵面(きずづら)を歪(ゆが)めて笑う。
「……と、申されますと?」
「ここより北側の川沿いに、怪しげな気配が漂っている。獲物の敵が穴熊の如く身を潜めている匂いだ」
「はぁ……」
「まあ、この臭さが、そなたにはまだわからぬであろうな。戦場でもっと嗅覚を研ぎ澄まさねば感じることはできぬ。猟師が獲物の匂いを嗅ぎ分けるのと同じ要領よ」
「獲物の匂い……に、ござりまするか」
「さようだ。どれほど理で戦いを組み立てていようとも、最後は己の本能と直感に従う。それがわが兵法よ。時には理屈を捨て、感じるままに動くことが必要だ。特に、かような敵の見えぬ戦いではな」
「……なるほど」
「この身はそれを戦勘と呼んでおる。そなたももっと修羅場をくぐれば、いずれわかるようになる。難所では鼻を利かす、という戦勘の意味がな」
「難所では鼻を利かす……。それが戦勘。……ご教授、ありがとうござりまする」
半信半疑の表情で、飯富虎昌が頭を下げる。
「言葉で捉えようとするな。ただの勘だからな。それに、そなたはどちらかというと己の本能と直感で動く将だと見ている。それがしに似ているところもある」
「有り難き御言葉にござりまする」
「誉めているのではないぞ。御屋形様のように理詰めで戦を算じきれるほど、そなたは頭が良くないと申しておるのだ」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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