よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「その露払いとして先頭にわれらがいるわけだが、上原城に着いてからはどうすればよい」
「われらが奇襲を仕掛けるのは、十八日の夜更け過ぎから十九日の払暁までの間と考えておる。敵が寝静まった頃合いを見計らい、一気に攻め入るつもりだ。そなたらは上原城に入り次第、怯えた振りをして動かずにいてくれ」
「ご丁寧に、怯えた真似まで、せねばならぬのか」
「まあ、言葉の綾(あや)だ。おそらく、われらが動くのは丑(うし)の後刻(午前三時)あたりゆえ、軍装を解かずに、敵から見えぬようにしていてくれということだ」
「丑の後刻を過ぎたならば、城門を開き、打って出てもよいということか」
「さよう。われらが勝弦峠から小笠原の本隊を追い落とすゆえ、そなたらが掃討してくれると助かる」
「ならば、上原城から一気に諏訪湖の西側へ抜け、岡谷へ攻め入るとするか。されど、下社には仁科盛能の軍勢が残ってしまうのではないか」
「それは御屋形様と典厩(てんきゅう)様にお任せしよう。若い侍大将どもにも獲物を残しておいてやらねばなるまい」
「なるほど。御屋形様には諏訪湖の東側から攻め込んでいただき、われらはどこまでも小笠原長時を追うということだな。ついでに諏訪西方衆の裏切者どもを成敗してくれようぞ」
 原虎胤は己の腿に何度も扇を叩きつける。
「事はさほどに簡単ではなかろうが、こたびはしくじるわけにはまいらぬ。小笠原を蹴散らし、当家を甘く見ている者どもに思い知らせねならぬ。鬼美濃、兵部、援護を頼む」
 室住虎光は両手を腿に置き、深く頭を下げる。
「何を、水くさい。こたびはそなたが真の先陣大将だ。われらはそれに従うのみ」
 原虎胤は前の戦で唯一生き残った老将の忸怩(じくじ)たる思いを、最初から汲(く)むつもりでいた。
「のう、兵部」
 上輩の言葉に、飯富虎昌が頷く。
「はっ! 異論ござりませぬ、鬼美濃殿! 追撃はお任せくだされ、豊後殿」
 足軽奇襲隊と先陣騎馬隊は策と連係を確認し、結束を固めた。
 この日の夜更け過ぎ、車借に化けた最初の足軽小隊が大井ヶ森(おおいがもり)を出る。まず経路を確認し、辰野宿に足場を築くため、横田高松がこれを率いていた。
 足軽小隊が次々と出立する中、翌日からはこれまで以上に様々な風聞が諏訪で飛び交いはじめる。丸二日間をかけ、二千五百余の足軽勢が伊那街道の小野宿にある冨士浅間神社に集合した。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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