第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
慌てて鎧を身につけようとする者、触れを叫んでいる者などでごった返す。ほとんど兵たちは状況もわからないまま走り回っている。それを武田勢の足軽が槍の餌食としていく。
小笠原長時と赤澤経智は何とか厩へ辿(たど)りつき、わずかな護衛の兵をまとめて敗走した。
勝弦峠の東に下りはじめ、小笠原勢は塩尻峠の方角に向かって形振(なりふ)り構わず逃げる。
しかし、麓で武田勢の新手と遭遇してしまう。
先陣の原虎胤と飯富虎昌が率いる騎馬隊だった。
「上から足軽隊が追い落としてくれる! 下りてくる小笠原の者どもを討て! 挟撃だ!」
鬼美濃が叫び、騎馬隊が逃げ惑う小笠原勢に突き入る。
武田足軽隊による朝懸けの奇襲を受けた小笠勢は総崩れとなり、武田騎馬隊に挟撃され、千人以上の兵を討ち取られた。
時を同じくして、上原城から打って出た晴信の本隊は、諏訪湖の東側をひた走り、下社の仁科盛能の陣へ攻め入る。
武田菱(びし)の旗幟(きし)が林立する様を見て、仁科盛能はまったく応戦する構えもなく、北東の和田(わだ)峠に向かって逃げ出す。
「深追いする必要はない! 勝鬨を上げよ!」
晴信が馬上で槍を突き上げ、武田勢に鯨波が広がる。
陽はすでに上り始め、諏訪の一帯を明るく照らし始めていた。
勝弦峠で戦果を上げた原虎胤と室住虎光が、塩尻峠に登ろうとする小笠原長時を執拗(しつよう)に追う。軍装もないまま、長時の一隊はとにかく必死で逃げる。峠に上がっても、立て直しの目処(めど)はつかない。
小笠原長時は何もかも放棄して全力で敗走し、命からがら居城の林(はやし)城に向かった。
一方、原虎胤と室住虎光の命を受け、飯富虎昌の騎馬隊と横田高松、真田幸綱らの足軽奇襲隊が、岡谷に陣取っていた三村長親と山家昌治の陣に攻め入る。
この敵将たちもまったく手向かいできず、ばらばらになって敗走した。
終わってみれば、思惑通り奇襲の策が壺に嵌(は)まり、武田勢の完勝となっていた。上田原の敗北を埋め合わせるに足りる戦果だった。
小笠原長時の命は助かっていたが、二度と諏訪と伊那郡へは攻め入れないほどの痛手を負っていた。
そして、真田幸綱の予想通り、村上義清はまったく動かなかった。
それを受け、晴信は九月六日に諏訪から佐久へ転戦し、前山(まえやま)城をはじめとする十三もの城を落とす。勝利の余勢を駆った快進撃である。
さらに十月二日、小笠原長時の本拠である城からわずか二里(約八㌔)しか離れていない地点に、諏訪防衛のための拠点、村井(むらい)城を築城した。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。