よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 砥石城攻めは依然として膠着したままだった。
 ――村上義清と高梨政頼の和睦は、われらの城攻めを知ってのことだろう。このまま戦が長びき、村上と高梨の軍勢が小県へ来たならば、最悪の事態となる。撤退も視野に入れ、迅速に判断せねばならぬ。
 晴信は再び首筋に薄ら寒さを感じていた。
 そして、勝沼信友と真田幸綱から早馬が来る。
 寺尾城の救援に駆けつけたところ、城を囲んでいたのは高梨政頼の軍勢だけであり、村上の旗幟はすでになかったというのである。
 しかも武田の旗幟を見た途端、高梨勢はあっさりと囲みを解き、素早く撤退したらしい。
『寺尾城攻めを囮とし、村上義清がすでに坂木の葛尾城に戻っているかもしれませぬので、お気をつけくだされませ』
 そんな伝言が添えられていた。
 ――しまった!……村上と高梨が連合して寺尾城を囲んだというのは虚報であったか。村上義清は高梨と密約を結び、己が本城へ戻る時を稼いだに違いない。ならば、これ以上、城攻めを続けていては危ない。
 晴信は危機を察知した。
 二十九日の未明に勝沼信友と真田幸綱が寺尾城から戻ってくる。
 寺尾城は善光寺平の英多(あがた/松代〈まつしろ〉)にある愛宕山(あたごやま)に築かれており、小県へ戻るためには北国(ほっこく)街道を使うしかない。
 当然のことながら、その途上には坂木の葛尾城があり、勝沼信友と真田幸綱は警戒しながら埴科郡を抜けたが、村上勢の目立った動きはなかった。
 それを受けて翌日、晴信は諸将を集めて軍評定を開き、小県からの撤退を言い渡す。
 室住虎定と横田高松は落胆したが、仕方のないことだった。
 翌十月朔日(ついたち)の払暁とともに、晴信本隊の撤退が始まる。城方からの追撃を警戒し、室住虎定と横田高松の足軽隊は城際に残っていた。
 ところが晴信が動いた途端、信じ難いことが起こる。
 砥石城の北々東から突如として鬨の声が上がり、夥(おびただ)しい蹄音(あしおと)が響く。
 晴信が振り向くと、村上の旗印が見えた。
 ――ま、まさか!?……なにゆえ、かような方角から!
 完全に背後を取られている。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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