第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
村上勢の追撃隊が北側から現れたのには、確かな理由があった。
寺尾城から小県に向かう正式な経路は北国街道だが、善光寺平の英多(松代)からは、もうひとつの隠された経路がある。
英多の南側から山間に入り、延々と続く岨道を行くと地蔵(じぞう)峠という場所に出る。それを越えると真田郷に至り、そこから砥石城までは眼と鼻の先だった。
つまり、北側に潜んだ村上勢が晴信の背後を取ることは造作もなかった。
しかし、それは小県から善光寺平にかけての地勢を熟知した者でなければ使えない策である。
村上義清が率いる追撃隊にまんまと背後を突かれ、武田勢は不利な態勢のまま厳しい撤退戦を行うことになった。
そして、追撃に気づいた室住虎定と横田高松の足軽隊が村上勢と本隊の間に割って入る。
「豊後殿、殿軍(しんがり)はそれがしに任せ、御屋形様をお逃がしくだされ!」
横田高松が叫ぶ。
「いや、儂もここで村上を抑える!」
「いいえ、どうか本隊をお守りくだされ。それがしは村上義清の喉笛に齧(かじ)りついてでも刺し違えまする! お任せを!」
鬼面になった横田高松が村上勢の前に立ちはだかった。
それを見た室住虎定が観念する。
「死ぬなよ、備中! 必ず生きて戻れ!」
それだけを伝え、虎定は己の足軽隊を率い、本隊の最後尾へ向かった。
砥石城からも敵勢が打って出て、本隊の後方は激しい乱戦となる。
この戦いは陽が傾くまで続き、不利なまま撤退戦を続けた武田勢の殿軍は、一千余が討死する甚大な被害を出してしまう。その中には、横田高松も含まれていた。
追撃での戦果を得た村上勢は陽が落ちる前に退き、勝鬨を上げながら本城へ戻る。砥石城でも勝鬨が上がり、それが夜まで続いた。
晴信は大門(だいもん)峠を越えて諏訪に戻り、戦の後始末に関して評定を聞き、諸方へ書状を出す。再び討死した家臣たちの神葬祭(しんそうさい)を行った後、十月七日に甲斐の府中へ帰還する。
これが後の世に「砥石崩れ」と呼ばれる晴信の二度目の敗戦の顛末(てんまつ)だった。
――やはり、この身は村上義清に敵わぬのか……。
立ち直りかけた晴信の心が再び折れそうになる。
――大事な重臣が、また一人……。
横田高松の討死がそれに拍車をかけていた。
晴信の心奥に、村上義清を苦手とする意識がはっきりと刻まれていた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。