第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
動揺を隠せない虎千代に、天室光育はこう言った。
「何のために、あれほど乗馬の稽古をしたのか。ただ馬に跨(また)がり、堂々と城へ入る。それで、よいのではないか。慌てず、騒がず、黙って皆の前へ出ればよい。家臣たちはまず、そなたの所作だけしか見ておらぬ。俄(にわか)の城主でも堂々とさえしておれば、何とか格好がつくものだ。あとは落ち着いて己の才を信じよ」
七年間も仏門にいた子息が急に還俗して城主になったところで、それは家臣たちが担ぐ御輿(みこし)に過ぎない。誰も統率力や指導力などを求めないだろう。
ただし、反目する国人衆を押さえ込むには、大義の御旗が必要であり、それに対抗する者たちがわかりやすい御輿を担いで力を結集する必要がある。それならば、余計な我など出さず、家臣たちが担ぎやすい御輿になればよい。
威光などというものは、担がれた後でいくらでもついてくる。たかだか齢十四の若輩に最初からそんなものを期待しているはずがない。
老師はそのように諭した。
それから、天室光育は虎千代に毘沙門天王(びしゃもんてんのう)の息災法を授け、林泉寺から送り出した。
こうして元服した虎千代は、幼名から景虎へと改名し、栃尾城主となった。
この末子に会い、驚いたのは補佐役の本庄実乃である。
泰然自若とした物腰が、とても僧門から還俗したばかりの若者とは思えない。一目で只(ただ)ならぬ器量が見て取れた。
――これは……。どこか、ひ弱な兄上の晴景殿とは、比べものにならぬ。これほどの傑物ならば、どっちつかずで日和見を決め込んでいる国人衆をまとめることができるやもしれぬ。
そう考えた本庄実乃は、三条城々代の山吉政応(まさたか)と栖吉城の古志長尾家に呼びかけ、長尾景虎の名のもとに勢力を結集する。
しかし、新たな城主となった若輩を、ただの傀儡(かいらい)と侮った三条勢の長尾俊景(としかげ)が、さっそく挨拶代わりに栃尾へ攻め寄せる。
両軍勢は刈谷田川(かりたやがわ)を挟んで大激戦を繰り広げたが、最初から相手を舐(な)めてかかった敵方は、予想以上に士気の高い栃尾勢に手を焼き、ついには撤退するしかない戦況に追い込まれた。
景虎の初陣は、見事な勝利となる。これが天文十三年(一五四四)春のことである。
そして、すぐに次の合戦が起こった。
そのきっかけは、景虎のもう一人の兄、長尾景康(かげやす)に対する弑逆(しいぎゃく)だった。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。