よみもの・連載

雌鶏

第一章3

楡周平Shuhei Nire

   6

 アジアの戦場を股にかけて暗躍した鬼頭(きとう)である。
 少々のことでは驚くはずがないのだが、その鬼頭にして米兵殺害の経緯を聞かされ目を剥(む)いた。
「お前は殺してはいない。清彦(きよひこ)の身代わりになったと言うのだな」
 貴美子(きみこ)は黙って頷(うなず)いた。
「なぜだ? 犯されそうになったからとは言え、殺人、それも米兵を二人も殺せば――」
「清彦は帝大法学部出身ですよ」
 貴美子は鬼頭の言葉を遮った。「混乱の時代は長く続かない。平穏を取り戻した後の社会は法が支配する。事業家も法に精通しているに越したことはない、と言いましてね。そちらの勉強を怠ってはいなかったのです」
「だから、何だと言うのだ?」
 鬼頭は貴美子が何を言わんとしているのか理解できない様子で、問い返してきた。
「清彦は法に精通しておりますし、素人の私だって、正当防衛は無理でも過剰防衛と判断されるのではないかと思いまして……」
「すると、お前が身代わりの話を持ち出して、清彦を説得したのか?」
「未成年は少年法によって裁かれるもの。同じ殺人でも、成人より遥かに短い刑期で済みますから。だから私、言ったのです。内縁の妻を救うためとはいえ、米兵を二人も刺し殺したからには死刑もあり得る。その点、私は未成年だと……」
 鬼頭は、「う~ん……」と唸(うな)って、腕組みをして考え込む。
 貴美子は続けた。
「護(まも)ろうとした清彦が死刑になろうものなら、私は生きて行けません。だから私が殺したことにしようと……」
「彼は、すんなり聞き入れたのか?」
「まさか……」
 貴美子は、その時の清彦の表情、言葉を脳裏に浮かべながら話を続けた。
「この事件は少年法ではなく検察送りになる。過剰防衛と判断されたとしても、懲役刑は免れないし、成人と一緒の女子刑務所で服役することになる。お前に何年もそんな生活をさせるのは、あまりにも忍びないと、涙を浮かべながら頑として応じませんでした」
「それでも、最後はお前の説得に応じたわけだろう?」
「最終的には……」
 貴美子は頷いた。「だって、清彦のいない人生なんて考えられませんでしたもの。死刑の判決が下されたら、刑が執行されたその日に、私も後を追うと必死に訴えたのです」
 鬼頭は釈然としない様子で、胡乱(うろん)げな眼差(まなざし)になって貴美子を見つめ沈黙する。

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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