よみもの・連載

雌鶏

第一章3

楡周平Shuhei Nire

「あの時は、本気でそう思っていたのです……」
 貴美子は言った。「それでも清彦は、お前を前科者にするわけにはいかない。前科は刺青(いれずみ)と同じで、生涯消すことはできない。それもただの前科じゃない。殺人だぞと、断固として応じません。それで私、言ったんです。私が刑期を終えて出て来るまでに身を立てて、妻に迎えてくれればいい。殺人罪であろうと未成年だから、名前は一切表に出ない。前科を知るのは、あなたと私の二人だけではないかと」
「なるほど……」
 その約束が果たされなかったのは、貴美子がニュー・サボイでホステスをやっていることから明らかだ。
 しかし、鬼頭はそこには触れず、先を話せと目で促してきた。
「それで、誓いを交わした証(あかし)として、自首する前に刺青を入れることにしたのです」
「刺青?」
 さすがの鬼頭も、これにはギョッとした様子で目を見開いた。
 貴美子は左手の薬指に嵌(は)めていた銀の指輪を外し、薬指を顔の前に翳(かざ)して見せた。
 すらりと伸びた薬指の第二関節と指の付け根との中間に、青黒い一本の線が現れた。
「誓いの証と言うからには、清彦も同じものを入れたのか?」
 貴美子は口元に笑みを浮かべ、静かに首を横に振った。
「お前だけなのか? それじゃ誓いの証にならんだろう」
「前科は、戸籍謄本にさえ記載されません。名前が表に出なければ、よほど念入りに身辺を調べられでもしない限り、私が前科持ちだなんて簡単には分かりませんが、刺青は違います。堅気の女はこんなものを入れたりはしませんので……」
「お前は自ら傷物になることで、清彦に生涯を共にする責任……、いや義務を負わせようと考えたのだな」
 堅気の女は刺青を入れたりはしないと言ったところから、貴美子の意図を見抜くとは、さすが鬼頭だが、それでも呆気(あっけ)に取られたような表情になる。
「背中や腕なら衣服で隠せますが、指はそうはいきませんでしょう? 身代わりだけでも十分負い目になるとは思ったのですが、何年も離れて暮らすことになるのです。やはり証文がないと不安になりまして」
「なるほど。刺青は証文か……」
「だって、証文にはハンコが要りますでしょう?」
 鬼頭はすぐに言葉を返さなかった。
 貴美子は続けた。

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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