よみもの・連載

雌鶏

第一章3

楡周平Shuhei Nire

 鬼頭が何を言わんとしているかは聞くまでもない。
 清彦を探すつもりなのか、と言いたいのだ。
「いえ……。そういうわけではないのですが……」
 それでも、語尾を濁してしまった貴美子に、
「お前、出所した後の暮らしに、どんな夢を描いていた?」
 鬼頭が唐突に訊ねてきた。
「えっ?」
「二人で世帯を持ち、子供を設け、平凡な人生を歩もうとでも? 清彦の夢が叶(かな)えば事業家夫人として豊かな生活が送れるとでも思ったか?」
 否定すれば嘘(うそ)になる。
 東京を離れ、二人を知るものがいない土地で、再出発を図る……。
 清彦が最後に言った、あの言葉は、今もはっきりと覚えている。いや、今に至ってもなお、実現する時が来るのではないか、そのために懸命に道を模索しているのではないかと信じたい気持ちは残っている。
 状況からして、その可能性は皆無に等しいのは明白なのだが、そうでも思わなければ、自分があまりにも惨(みじ)めだ。それに清彦には、獄に繋(つな)がれている間に我が身に起きたある出来事で、絶対に伝えておかなければならないことがある。
「それは……まあ……」
 貴美子は曖昧に答えた。
「人の口に戸は立てられぬとはよく言ったものでな。秘密は必ずバレる。子供が物心ついた後で、母親に殺人の前科がある。あるいは、事業家夫人に暗い過去があったと知れてみろ。止(や)むなき事情があろうとも、世間は忖度(そんたく)なんかしやしないぞ。かと言って、私は身代わりになったのだ。殺したのは清彦だと言えるか?」
 鬼頭の言う通りである。
 沈黙した貴美子に向かって鬼頭は続ける。
「清彦との暮らしが安定し、上向けば上向くほど、過去がバレた時の影響は甚大だ。いつバレるか、いつこの生活は崩壊するのか、その恐怖に怯(おび)えながら人生を送って行かなければならなくなるのだぞ」
 ぐうの音も出ないというのはこのことだ。
 黙るしかない貴美子に、鬼頭は止(とど)めの言葉を口にした。
「ならば、誰もお前を知らない、過去が発覚する恐れがない地で、一人、新たな道を歩み始めたほうがいいじゃないか。大丈夫、ワシが護ってやる。途方もなく豊かな人生が開けることを約束してやる」

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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