よみもの・連載

雌鶏

第一章3

楡周平Shuhei Nire

 不意をつかれたように、鬼頭が短く漏らす。
「昭和二十四年一月に殺人罪で逮捕、拘置所に四ヶ月、刑が確定して四年二ヶ月。もちろん模範囚でしたから刑期が短縮されても不思議ではないのですが、五年だって短すぎるのに、刑期が短縮されるなんて、普通あり得ませんでしょ?」
「それが、アメリカ側の意向が働いた証拠だと言うのか?」
「釈放の際に所長に呼び出されまして、こう言われたんです。模範囚と認められるので、半年早く仮釈放とするが、事件のことは決して他人に、特に報道機関には漏らしてはならないと……」
 どうやら、鬼頭にはピンとくるものがあったらしい。
 合点がいったとばかりに、ふんと鼻を鳴らすと、
「なるほど、プレスコードか……」
 低い声で漏らした。
 その言葉を初めて聞いた貴美子は、すかさず訊ねた。
「何です、そのプレスコードと言うのは?」
「さっき、事件が起きたのは、GHQが報道機関が報ずる記事の検閲、情報統制を行なっていた時期だと言ったな」
「はい……」
「検閲、情報統制に該当する基準をプレスコードと呼ぶのだが、実のところ基準なんてあってないようなものでな。時々の世界情勢、国内情勢を鑑みながら報道の可否を、都度GHQが決めていたのさ。それも、二十七年にサンフランシスコ講和条約が発効されたのを機に撤廃されて、新憲法に謳(うた)われているように、報道の自由が保証されるようになったのさ」
 そう言われても、プレスコードと我が身に起きたこととが、どう関係するのか、貴美子にはさっぱり分からない。
 そんな内心が表情に出たのか、
「お前が娑婆に戻ってきたのは、昭和二十八年。報道統制も廃止されていたし、過去の話とはいえ、事件を知れば食いついてきた新聞社は幾つもあったろうさ。わざわざ口封じをするところを見ると、今となっても、表沙汰になると、余程まずい事件だったのだろうな」
 鬼頭は鋭い眼差しで貴美子を見据えると続けた。
「でも先生、当時の時点で、五年近くも前の事件ですよ。そんな古い話を新聞が報じたところで――」
「いや、そうではないな」
 鬼頭は、何か思い当たる節でもあるのか、貴美子の考えを否定すると、「もっと大きな理由があるな……」

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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