よみもの・連載

雌鶏

第一章3

楡周平Shuhei Nire

 鬼頭はそこで、ふうっと長い息をつくと、貴美子を正面から見据え口を開く。
「一部とはいえ、進駐軍の狼藉(ろうぜき)ぶりには目に余るものがあったのは事実だ。奴(やつ)らの行為に怒りを感じていた国民は数多(あまた)いたし、日本の法で裁けぬことに忸怩(じくじ)たる思いを抱いていたのもまた事実。こんな事件が報じられようものなら、殺人を誘発したのは米兵であって、お前は身を守ろうとしただけだと、世間は騒然となっていただろうな」
「GHQ、あるいは米軍の意向が働いたのかは分かりませんが、警察、検察の取り調べも、それほど厳しいものではありませんでした。むしろ、同情的であったようにも感じたのですが、それでも逆送されて起訴は避けられませんでした」
「もちろん、弁護士はついたのだろう?」
「ええ……。清彦が帝大の先輩に依頼してくれまして」
「量刑は?」
「懲役五年です」
「二人も殺して、その程度で済んだのか?」
「少年法でも、殺人は別扱いとはいえ、改正法が適用される初の事件ですし、弁護士が正当防衛を主張したこともあったのだと思います」
 貴美子は言った。「検察は無期懲役を求刑しましたが、正当防衛は認められなかったものの、過剰防衛とされまして、殺人罪に適用される最も軽い量刑が下されたのです」
「検察は控訴しなかったのか?」
「不思議なことに、しませんでした」
 鬼頭が疑問に思うのも無理はない。無期懲役の求刑に対して、殺人罪に適用される最も軽い量刑が下されたとなれば、検察の面目は丸潰れ。即日控訴となるはずなのだ。
 貴美子は続けた。
「弁護士の先生も驚いていらっしゃいました。改正少年法下で裁かれる初の事件とはいえ、二人も殺してこの量刑は軽すぎる。GHQか米軍かは分からないが、アメリカ側から何らかの意向が働いたとしか思えない。そうでなければ、検察が控訴をせずに引き下がるはずがないと……」
「お前が言うように、様々な事情、思惑が絡み合って、アメリカ側も早急に幕引きを図ろうとするのは分からんでもないが、それにしたって不可解な話だ。第一、よくお前の単独犯行で押し通せたものだな。女一人で米兵を二人も刺し殺せるものなのか、疑問を覚えるだろうし、お前は清彦と一緒に暮らしていたのだろう?」
「あの日、清彦は千葉に食材の買い出しに出かけていて、まだ帰ってなかったと言ったのです。千葉へ行ったのは事実ですし、何時の列車で戻って来たかなんて、調べようがありませんので」
「千葉へ行ったのは事実でも、買い出し先を離れた時間を調べれば――」
「予定していた列車に乗り遅れたと言えば、それまでではありませんか」

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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