よみもの・連載

雌鶏

第三章

楡周平Shuhei Nire

 生い立ちは分からぬものの、軍歴、学歴共に、自分と瓜(うり)二つ。しかも歳下の山崎に敗北感に似た感情を覚える一方で、やりようによっては街金が途方もなく大きな事業になる確信を清彦は抱いた。
 そんなところに起きたのが、米兵殺害事件である。
 迷いに迷った末に、「私が身代わりになる」と言った貴美子の申し出を受け入れたのは、二人の将来を考えてのことだ。
 どんな判決が下るにせよ、貴美子は自分の出所を待つだろう。しかし、そこから先に待ち受けているのが、あまりにも惨め、かつ絶望的な生活だとしたら……。
 生活の糧を稼ぐのは男である。殺人の前科を持つ清彦を雇う、まともな職場は絶対にない。ドヤに住み、日雇いの肉体労働で細々と生計を立てるのが関の山。それでは貴美子が、あまりにも不憫(ふびん)に思えた。
 それに、殺人事件の現場となってしまった以上、店の続行は不可能だ。ならば、自分が獄に繋がれている間、貴美子はどうやって収入を得るのかということも考えた。
 女性を雇うまともな職業は極めて少ない。パンパンや街娼(がいしょう)、娼婦に身を窶(やつ)す、うら若き女性が数多いるのはその証左である。
 絶対に貴美子をそんな目に遭わせてはならないと思った。
 そこに思いが至った瞬間、ふと清彦の脳裏に、一つの考えが浮かんだ。
 まず、貴美子が刑に服している間に、東京から遠く離れた街に住まいを移す。そこで確固たる生活基盤を築き、出所した貴美子を迎え入れれば、誰にも過去を知られることなく暮らしていけるのではないかと……。
 もちろん、罪を被(かぶ)せた貴美子には、苦難を強いることになる。忸怩(じくじ)たる思い、疚しさも覚えた。しかし二人の将来を考えると、それが最もいい方法に思えたし、絶対に貴美子を裏切ることはできない。幸せにしてやらねばならないと、固く心に誓ったのだ。
 東京を離れるのは、貴美子の刑が確定してからと考えていたのだが、拘置所で面会した貴美子の姿を目の当たりにした瞬間から、清彦は大罪を被せてしまった罪の意識に苛(さいな)まれた。
 ほつれた髪、痩せた頬は、拘置所暮らしの厳しさの証だし、二人を隔てる分厚い一枚のアクリル板に、二人が置かれた立場の違いを思い知らされた気がしてならなかったのだ。
 しかも、貴美子は後悔する様子は微塵もなく、それどころか嬉(うれ)しそうに目を細め、笑みさえ浮かべるのだ。
 申し訳ないと思った。どの面さげてと、罪の意識はますます深まるばかりだ。
 どこの刑務所で刑に服することになるのか分からぬが、何年も、無期ならば仮釈まで何十年も、こんな貴美子の姿と向き合って行くのは耐えられないと思った。
 ならばどうするか……。
 とにかく、動くこと。一刻も早く、二人の将来の生活基盤に目処(めど)をつけ、貴美子を安心させてやることだと思い立ち、清彦は知人が住む大阪に向かった。

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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