よみもの・連載

雌鶏

第三章

楡周平Shuhei Nire

 二本の指が欠損した左手を翳(かざ)すと、呵々と笑い声を上げる北原だったが、「そやけど、うちとこはヤクザとはちゃいますよ。社長もヤクザと深く交わらんようにしてますし、ヤクザも社長には、よう手を出しませんしね」
 一転、真顔で話した。
 俄然(がぜん)興味を覚えた清彦は、その理由を問うた。
「ヤクザも、金に困ることがあるんですわ」
「ヤクザが金に困るなんてことがあるのかね? 金に困れば因縁つけて、巻き上げるのがヤクザだろ?」
 清彦が訊ねると、
「少尉殿、闇市全盛の頃ならともかく、これだけ世の中が落ち着いてくれば、そないなことしたら後ろに手が回ってまいますわ」
 北原は苦笑を浮かべ、話を続ける。
「まあそれでも、極道はいつ逮捕されてもおかしゅうありませんし、平和になった言うても、極道の世界では出入りが結構頻繁に起こるんですわ」
「出入り?」
「喧嘩(けんか)、抗争ですわ。血の気の多い人間がぎょうさんいますよって、刃傷沙汰(にんじょうざた)になれば血が流れるし、怪我(けが)人どころか、死人が出ることも珍しい話ではないんです。当然懲役に行く者も出るわけで、刑務所を出てくるまでの家族の生活は、組が見てやらなならんのです。命落とせば、そっちの面倒もありますしね」
 死者が出ると言うのだから、罪状は傷害、殺人未遂、殺人といったところか。いずれにしても重罪で、長期刑は免れない。
「家族の面倒も大変だろうが、死んだ組員には、手厚く報いなけりゃならんだろうからね。抗争の規模によっては、確かに物入りになるな」
 納得した清彦に、北原は言う。
「うちとこの社長は、尼崎で街金をやっとりましてね。街金いうても、小銭を貸して利子を取るいう程度の小さなもんやったんですけど、客の中に薬局をやっとるのがいたんですわ。それが、近々ヒロポンの製造量に制限がかかるらしい。伝手があるよって大量に仕入れたい言いまして、金を借りにきたんです」
「それをヤクザに転売したとか?」
「さすがは少尉殿、その通りですわ」
 北原はニヤリと笑う。「製造量を制限するいうことは、販売にも制限がかかるか、禁止になるかもしれへん。大量に仕入れたはええけど、売れなくなってもうたら、どないすんねん言うて、薬局を通して仕入れたヒロポンを、ヤクザに転売して大金をせしめたんです」
「じゃあ、今でもヒロポンを?」
「いやいや、もうとうの昔に止めてます」

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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