よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

1. ウルトラマンは沖縄からやってきた

澤宮 優Yu Sawamiya

ウルトラマンその後
「ウルトラマン」や「ウルトラQ」に出てくる怪獣は金城の怪獣観を体現するように、ユーモラスで愛嬌があり、憎めない存在だ。怪獣は単なる悪者ではなく、土地に棲みついた守護神みたいなものもいる。彼らにも人権みたいなものがあり、ウルトラマンも単純に怪獣を退治するのではない。まずは悪さをやめて、海、山に帰れと諭している。それでも悪さをやめないから、仕方なく懲らしめているだけだ。金城は、人間が一方的に怪獣を悪者にしてやっつけるような構図のストーリーを許さなかった。
 ところが後続番組の「ウルトラセブン」(昭和42年10月〜43年9月放送)では、怪獣の位置づけが変わった。彼らはときにユーモラスな怪獣ではなく、宇宙からの侵略者という悪者になったのだ。このことが金城を苦しませることになる。「ウルトラセブン」は視聴者の対象年齢を「ウルトラマン」より上に設定したこともあり、子供たちが回が進むごとに見なくなっていき、視聴率も徐々に落ちてゆく。番組の不調は回復せず、一年で終了する。金城は「ウルトラセブン」でも15本の脚本を書いたが、周囲から見ても、いつもの目の光が消えて、疲れが見えるようになっていたという。その後金城は特撮SF「マイティジャック」(昭和43年4月〜6月)を制作したが、視聴率はさらに落ち込み、途中で打ち切りが決まった。
 円谷プロはそこで大ナタを振るい、大幅な人員整理を決行する。大株主の圧力もあり、利益追求の方針が貫かれたのだ。金城は企画文芸室長の職を解かれ、契約プロデューサーになった。
 そんな状況に鬱屈した思いを抱えていたのか、金城が出した結論は沖縄へ帰ることであった。
 昭和44年3月1日、金城は妻と子供3人を連れ、船で東京を発(た)った。金城の父親代わりだった円谷英二も見送りに来てくれたが、あまりに唐突な帰郷をいぶかる人たちもいた。
 上原はその事情をこう説明する。
「金城は本当は円谷プロの中でもっと活躍したかったのだと思います。円谷プロの立て直しに貢献したいという思いはあったはずです。しかし彼は社員ではなく契約プロデューサーにされてしまいました。『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の功労者である金城に対してこの仕打ちはあんまりだと僕は思いました。彼は待遇に納得できないまま、もやもやしていたのでしょう。奥さんはその気持ちに早くに気づいて、沖縄に帰りましょうと言ったのだと思います。実家の料理店『松風苑』では、お母さんが義足をつけて一生懸命働いていましたから、母親を助けたい気持ちもあったのでしょう」
 沖縄に戻った金城だったが、彼にはまだ夢があった。それは沖縄人として第一号の直木賞作家になることだった。昭和42年に大城立裕が「カクテル・パーティー」で沖縄出身作家として初めて芥川賞を受賞したのを見た金城は、小説を通じて沖縄の現実を全国に発信できる可能性ができたと喜び、だったら自分の役割は大衆小説の直木賞を取り、それによって中央に沖縄を発信したいと考えたのである。

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

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