よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

1. ウルトラマンは沖縄からやってきた

澤宮 優Yu Sawamiya

届かなかった沖縄への思い
 森口は金城の死を「広義な意味での自殺だ」と言い、「沖縄が金城という大きな器を使いきれなかった、活(い)かしきれなかった」と悔やむ。
 本土のマスコミは、沖縄で失意のうちに命を落とした金城哲夫を、悲劇的に書きたがる。しかし彼個人の悲劇として限定してしまってよいのだろうか、という疑問が残る。
 森口の言うように、沖縄の人々は金城の仕事に敬意を払い、それを活かそうという姿勢が十分にあっただろうか。沖縄県民は、その強すぎる郷土愛のために、本土で活躍した彼を受け入れなかった側面は無かっただろうか。
 本土の巨大なマスコミと対峙(たいじ)するだけの対応力を持ち、沖縄海洋博の演出をできる人材が、金城以外にいただろうか。他のメディアに押されて下火になっていた沖縄芝居を現代風に見事にアレンジして蘇(よみがえ)らせる力がある書き手は金城以外にいなかった。そういった金城の功績は素直に認められるべきだろう。
 金城が没して50年近くが経(た)つ。彼の死は、いわば沖縄全体の悲劇だったといえるだろう。彼の功績が正当に評価され、沖縄を愛した彼の思いが後世に伝わることを祈りたい。最後に弟和夫の言葉を紹介する。
「兄は故郷に対する愛着がとても強かったと思います。沖縄のためにいろんな仕事ができればと思っていました。自分に舞い込む仕事を黙々とこなす中で、これからのヤマトと沖縄との関わりについて、いつも考えていました。本土との橋渡しができるのは限られた人間だけだと思うのです。高校からヤマトにいた兄はヤマトンチュでもあり、ウチナンチュでもあります。だから世界に誇れる琉球文化を、ヤマトに向けてもっと発信できたはずです」
 それが金城の個性であり、強みなのだ。今も生きていれば、沖縄から初めての直木賞を取っていたかもしれない。それは沖縄の大きな栄誉となり、沖縄の素晴らしい文化がさらに世界に発信されることにつながっただろう。
 自身の心根の優しさを投影するような、魅力的な怪獣たちを生み出し、一大ブームの立役者となった金城哲夫。沖縄出身、本土育ちの彼は、その才能と知名度でもって、沖縄のことを本土に、世界に伝える役割と担おうと考えていた。しかしその彼の思いは、道半ばにして途絶えてしまった。
 ウルトラマンの中に、どのように作者の沖縄への思いが隠されているのか、それを確かめる旅に出た私だったが、取材を重ねるにつれて、金城その人自身が沖縄の激動の時代に翻弄されたのではないかという事実が浮き彫りになった。そこで感じたのは沖縄と本土の間にある壁である。やはり本土と沖縄が互いにわかり合う、受け入れ合うことは不可能なのかもしれないという絶望的な思いに行き着く。

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

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