1. ウルトラマンは沖縄からやってきた
澤宮 優Yu Sawamiya
「沖縄芝居をやっている人からは、ヤマト芝居のテイストが入っていると批判される。金城なりにテンポを速くして、新しい沖縄芝居を目指したが、それが叩(たた)かれた。東京から帰ってきた金城に、ふるさとの人たちは必ずしも温かかったわけではないのです」
苦悩を抱えながらも多方面で活躍していた彼に「沖縄国際海洋博覧会」のセレモニーの演出という大役が回って来る。
沖縄海洋博は昭和五十年七月二十日から、沖縄の日本復帰を記念して国頭郡本部町(くにがみぐんもとぶちょう)で開かれることになっていた。金城も沖縄を世界に知ってもらういい機会だと張り切ったが、開催については、沖縄の中でも賛否が分かれた。海洋博によって自然豊かな沖縄の環境が破壊されるという心配が、反対派の意見の根幹であった。金城はセレモニーで、丸木を刳(く)り貫(ぬ)いたサバニという船を集め、豪快に海を漕ぐシーンの演出を提案したが、漁業や農業に従事する地元の人たちからは、「海や山が荒らされる」という意見で協力を得られなかった。弟の和夫は言う。
「漁民を説得するとき、お前はヤマトの手先かと言われて、兄は大変傷ついたようです。沖縄のために一生懸命やっていたのですが」
沖縄でも反対が多い中で海洋博は開会したが、反対派が懸念したように開発で赤土が海に流出し、サンゴ礁への被害も出るなどの海洋汚染もあった。肝心の入場者数も予想よりも遥かに少なく、成功とは言えなかった。そんな世論に翻弄され、傷ついた金城の心を癒したのは酒である。心身の疲労の中で酒量は日を追うごとに増えた。
日本テレビで海洋博担当をやっていた森口は、海洋博については、反対する住民の側に立ってリポートをしていた。森口も海洋博には複雑な思いを持っていたのである。海洋博の閉会式が終わったその日、森口はふと無人の会場に行ってみた。そこに金城がいるかもしれないという予感もあったからだ。
観覧席の一番上に人影がある。やはり金城はそこにいた。しかし森口は咄嗟(とっさ)に言葉に詰まってしまった。疲れ切った姿でうなだれるように座っていた金城は、あまりにも憔悴(しょうすい)した様子だったからだ。酒も飲んでいたようだ。
「金城? おい」か「どうしたのか」とか、そんな言葉をかけたと思うが、正確には思い出せないという。ただ振りむいた金城のやつれた表情が今も彼の脳裏から離れない。
それが森口の金城との最後の思い出である。
その1か月後、金城は2階の仕事場に行く途中、窓から入ろうとして足を踏み外して落下。意識は戻らずそのまま死去した。泥酔していたという。
- プロフィール
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澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。