よみもの・連載

雌鶏

第二章2

楡周平Shuhei Nire

   3

 羽村は約束の時刻より五分早く現れた。
 仕事部屋に案内したのは、手伝いに雇った鵜飼靖子(うかいやすこ)である。
 彼女は幼少期に罹(かか)った熱病が原因で、聴覚に問題を抱えていたが、その一点を除けば、読み書きには全く問題はなく、達筆だし行儀作法も心得ている。
 靖子を連れてきた鴨上によれば、彼女は丹波(たんば)の素封家に生まれ、聴力に難があると知った母親が、いずれ家を出る時に備えて熱心に教育を授け、礼儀作法を教え込んだと言う。
 だから靖子の仕事は掃除と洗濯、来訪者を部屋に通し、茶を出す程度なのだが、独特の喋(しゃべ)り方になってしまうのが嫌らしく、鴨上と貴美子以外の人間との会話を一切拒む。
 二十三歳とまだ若く、切れ長の目に鼻筋が通った和風の美女が、巫女(みこ)のような衣装を纏って迎えに出、一切言葉を発することなく仕草だけで家の中に誘えば、来訪者は神秘めいたものを感ずるに違いない。
 鴨上のことだ。靖子を雇ったのは、そうした演出効果を狙ったことに加えて、客との間で交わされる話は、決して外に漏れてはならないものばかり。聴覚に難がある靖子にはその心配がないからだろうと、貴美子は考えていた。
 秘書を一人連れて現れた羽村だったが、仕事場には一人で入った。
 その数分後、隣の部屋から貴美子が入室すると、羽村がハッと息を呑むのが見てとれた。
 障子を通して差し込んでくる光の中だと、経錦は殊(こと)の外よく映える。しかも占い師は髪をアップに整え、紫色の薄い色眼鏡をかけた妙齢の美女である。
「お初にお目にかかります。貴美子と申します……」
 床の間を背に、上座に座った貴美子は、羽村に向かって丁重に頭を下げた。
「羽村と言います……」
 名乗る羽村は、見開いた目で貴美子を凝視しながら、背広の懐に手を差し入れようとする。
「名刺は結構でございます。先生のことは鬼頭先生から、伺っておりますし、卦は依頼があった本人を前にして立てるもの。私が勝手に見立てることはございませんので……」
 貴美子は羽村の動きを制し、こちらから連絡することはないことを暗に知らしめた。
「そうですか……。では……」
 懐に入れかけた手を戻した羽村は、再度貴美子を凝視すると、
「いや、驚きました。鬼頭先生からは、京都に当たると評判の占い師がいる。一度見立ててもらったらと勧められたのですが、まさかこれほどお若い方だとは……」

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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