よみもの・連載

雌鶏

第二章2

楡周平Shuhei Nire

 当初は胃の噴門部に発生したごく初期のもので、直(ただ)ちに切除すれば完治が見込めると診断されたのだが、癌は死を意味するのに等しい病だけに、患者本人への告知はタブーである。
 だから医師も家族には本当の病名を告げたものの、本人には胃潰瘍だが早めに切除したほうがいいだろうと手術を勧めた。
 ところが、術前のレントゲン検査で肺に陰影が発見され、精密検査を行なったところ、癌と判明。しかも、こちらは転移で、噴門部の癌が原発巣(げんぱつそう)だと判明したのだ。
 既に転移が見られる癌の場合、原発巣に手をつけるのは禁忌である。羽村は胃の不調に癌の疑いを抱いていたらしく、胃潰瘍の診断に意を強くしたと見えて、「潰瘍」の切除を強く望む。
 結局、家族の強い意向もあって、医師は病巣には一切手をつけず腹部を開けただけで手術を終わらせたのだった。
「ただ、この卦の意味は、それだけではないのです」
「と言いますと?」
「山を覆っているのは緑豊かな大地。山の存在が豊穣(ほうじょう)な大地を育んでいるのです。先生の党首選をみたのに、なぜこんな卦が出たのか……」
 貴美子は一旦言葉を区切ると、色眼鏡の下から羽村の視線をしっかと捉えた。
 生唾を飲み込んだのだろう。羽村の喉仏が、上下に動くのが見てとれた。
「実は、事前に頂戴した、お名前と生年月日を元に、四柱推命で今年の先生の運勢を見立ててみたのですが、今年は大厄の年で、よほどお身体に気をつけないと命に関わることになりかねないかと……」
「命に関わる?」
 ぎょっとした様子で、目を剥いて絶句する羽村だったが、慌てて否定しにかかる。「そりゃあ胃を切ったんですから、食は細くなりましたけど、体調は至って良好で、特に異常は感じておりませんが?」
 貴美子もこれまで、癌で亡くなった人間を何度か目にしたことがある、
 癌患者の容貌には共通した傾向が現れる。痩せてくるのはもちろんだが、皮膚が乾燥した油紙のような不自然な質感になり、色もまた黄色味を帯びてくるのだ。
 今、羽村の顔には、明らかにその兆候が表れていた。
 事実、鴨上によれば、癌の進行は患者によって多少の差異はあるものの、方程式さながら、ほぼ同じ経過を辿(たど)るものだそうで、羽村の場合、余命六ヶ月程度。おそらく、二ヶ月後には入院を余儀なくされることになるというのが医師の見立てだそうだ。

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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