よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第五話 夏ざかり宴競べ

島村洋子Yoko Shimamura

   五

 春日屋の女郎であるお美弥(みや)は人混みの中で見知った人とすれ違って、
「あ、髪結いさん」
 と思わず声を掛けてしまった。
 よく見れば亀屋の髪結いの清吉には隣に連れがあったのに。
「あれ、お美弥ちゃん。ご無沙汰(ぶさた)しております。お元気そうで。しかし珍しい刻に」
 この清吉はお美弥が春日屋の主人の幸兵衛(こうべえ)からもらった櫛(くし)を失(な)くした時に、たいそう親身になってくれた優しい髪結い職人でお美弥はほんのりとした好意を持っていたのだが、なかなか店に通うこともできず、どこかで清吉に逢えないものかと願っていたのだ。
 灯(ひ)ともし頃に女郎が表に出てくるのは昼客を送ってそのあと用足しをすること以外にはないのだが、今日は特別だったらしい。
「今夜はあれがあるので時々、表で眺めてもいいと店主が言ってくれたんです」
 あれ、と言った方向からは三味(しゃみ)の音が聞こえていた。
 見れば櫓の上で宴会が始まっている。
 美しい龍田川の姿も見ることができたが、おやと清吉は思った。
 三味線の音が何やら変なのである。
 どうやらかぶさっているというか、櫓の上のそれとは違う音色が近くから聞こえて来ているようなのだ。
 ここは吉原だからあちらこちらの座敷から三味線や太鼓の音が聞こえて来るのは珍しいことではないのだが、やはり外の櫓の上から聞こえてくる音は大きい。
 行き交う人みんなが櫓を見上げ、さすが花魁は綺麗だと口々に話しているがその近くで同じような大きな三味線の音がしているのだ。
「あれ、あそこにも」
 茶の湯の家元加賀見護久が指で示す方向を見ると、そちらにも小さめの櫓があった。
「あれは角海老楼じゃないのかな」
 と呟(つぶや)いた清吉にお美弥は大きくうなずいた。
「そうなんです。龍田川さんに張り合うというのではないんでしょうが、角海老楼の有名な花魁の六歌仙さんのお客様が大工の親方みたいで、あっという間に半日ほどでそっくりな櫓を組んだみたいで」
「へええ、よりにもよってそんなことをするとは無粋な」
 護久の言葉に清吉もうなずいた。
 花魁六歌仙となったお歌は頭が良く道理のわかった女だから、龍田川をどうこうしてやろうというような気持ちはまったくないだろう。
 それにしても龍田川と六歌仙となれば清吉にとっては、どちらもがもしかしたら生き別れた妹ではないかと考えた大事な女郎たちである。
 ここでかち合うとは不思議な偶然だが、いくら大工で櫓を作れるにしてもそんな野暮をするような旦那、吉原では恥ずかしいのではないか。
 たとえ櫓ができたとしてもそこで始める宴会にも金はかかるだろうに。
「単に龍田川さんの旦那が羨ましいというよりは、花魁に出世した六歌仙さんをなんとかお祝いしてお披露目したい優しい御心なんじゃないですかね」
 清吉がそう言いながら向こうの櫓を見上げると時を同じくして花火が上がったのだろう、乾いたパーンという音とともに櫓の上の者たちがいっせいに、うわーという声を上げた。
 残念ながら角度が悪く清吉たちには何も見えなかったが、どういうわけか今度は道を歩いている者たちが声を上げて角海老楼のほうに走り出した。
 一体どうしたことだろう、と護久と清吉は驚いて顔を見合わせた。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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