よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第四話 星形のしるし

島村洋子Yoko Shimamura

   一

 日差しも高くなった頃、女将(おかみ)のお時(とき)が部屋までやって来たので何事かと思った龍田川(たつたがわ)だったが、
「そんなわけでよろしくお願いしますよ。清吉(せいきち)さんにはこちらからも言っときますから」
 と頭を下げられ、なんだそんなことかと拍子抜けした。
 龍田川と並んで春日屋(かすがや)を支える二枚看板の一津星(ひとつぼし)の贔屓(ひいき)にしている髪結いが今朝(けさ)転んで手首を折ってしまい、急遽(きゅうきょ)代わりの髪結いが来ることになった。しかし一津星としてはこの機会に新しい髪形にしてみようと思いつき、ついては龍田川の髪を結っている清吉に白羽の矢が立ったらしい。
 とはいえ龍田川の真似(まね)になるのもどうかと思うし、龍田川も嫌だろうし、いかがなさいますかという相談である。
「なんだ、そんなことでありんすか。良いじゃありませんか」
 龍田川は鷹揚(おうよう)に返事をした。
 そんな細かいことを気にしなくても、なんだか先輩の一津星に自分の髪を間接的に褒められたような気がして嬉(うれ)しかったし、清吉も仕事が増えるのは良いことだと思ったからである。
 しかし廊下を通る時に、きゃっきゃと華やいだ一津星の声を聞いて龍田川の気持ちは突然、穏やかではなくなった。
「お似合いでございます」
 と言う清吉の声がしたからである。
 胃の奥のほうからカッと熱いものが込み上げて来るのを感じた自分に龍田川は狼狽(ろうばい)した。
 これは嫉妬というものであろうか。
 いわゆる色恋によるものだろうか、それとも新しい一津星の髪形が評判になりにでもしたら悔しいという仕事の上での気持ちなのだろうか、自分でも判然としなかった龍田川がぼんやりと煙草盆(たばこぼん)を眺めていると、あばたのある古手の忘八が現れた。
「引き手茶屋の永井屋(ながいや)さんからのご紹介で、なにやら品川(しながわ)の紙問屋の跡取りさんがどうしても龍田川さんに御目文字願いたいとのことですが、よござんすかね。身なりも良くまだお若い方らしいんですが」
 お若い、という言葉に龍田川は思わず笑った。
 花魁(おいらん)を買おうなんて輩(やから)は功成り名を遂げた初老の男が多いので、忘八も思わずそんなことを言ったのであろう。
「よしなに」
 そう龍田川は言い、大きく息を吐いた。
 そこに遣(や)り手ばばあのおきぬが、
「今日、知り合いが摘んできた蓬(よもぎ)で餅をこさえましたんで、花魁よろしかったら」
 と蓬餅を置いていってくれたので、春の息吹(いぶき)を少し感じてほっとした龍田川は鏡に向かうことにした。
 この前、桜祭と称する早咲きの桜の木を植えて祝う行事が終わったばかりだが、すぐに柏餅(かしわもち)の季節もくるだろう。
 日頃の慌ただしさで情緒を忘れがちな自分を戒めなければ、と龍田川は思った。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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