よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第四話 星形のしるし

島村洋子Yoko Shimamura

 品川のご存知さんというのは、紙問屋の若旦那で金は潤沢にあるという男である。
 ひょろひょろとして頼りなげではあるが、育ちの良さなのか品良く人を安堵させるようなものを醸(かも)し出しているので、お歌にはありがたい客であった。
 そして話をするばかりでどういうわけか指一本、触れて来ない。
 時々、遊女に自分が本気であることを見せたいのか何もして来ない男がいるにはいたが、そういう男は逆に他に本気の男はいるかとかあといくらで年季が明けるのかとか事細かに尋ねるのにそれもない。
 下戸(げこ)なほうらしくあまり呑みもせず、絡むわけでもなく温厚である不思議なその男が、
「今日は白状しますが、品川の紙問屋の倅と言ったのは嘘です」
 とついに言ったとき、お歌はびっくりしてしゃっくりが出た。
 べつに客がどこの何べえであろうと金さえちゃんと払ってくれればこちらとしては良いのだが、嘘をつくような人には見えなかったので驚いたのである。
「実は私は両国(りょうごく)の呉服屋越前屋(えちぜんや)の跡取りの義助(ぎすけ)と申す者です」
「え、ということは」
 両国の呉服屋という言葉にお歌は聞き覚えがあった。
「はい、当主の仁左衛門(にざえもん)の倅です」
 最近は月に二度ほどに落ち着いているが、両国の呉服屋である越前屋の当主の仁左衛門がお歌を気に入り、一時は三日に上げずやって来て、ある時は、
「おまえを自由の身にするにはいくらかかるのだろう。ここでこうして金を払っているのも馬鹿らしいので、できたらおまえをわしの妾(めかけ)にしたいのだが」
と言っていたこともあった。
 嫌いな男ではないし一日でも早くこの稼業から足を洗いたかったので、それは是非にと思ったお歌だったが、店主にそれとなく残りの借金を聞いたのだろうか男は二度とそのことを口にしなくなった。
 たぶん想像よりも高値だったのだろうとお歌は思ったが、それについては尋ねなかった。
 もう来なくなるのかと思っていたが、以前ほどではなくともやはり通っては来ていた。
 だんだんそんな自分が虚(むな)しくなってきたのか、
「もうおまえも人気が出てわしの手の届くのもいまのうちかもしれんなあ。いっそこのまま」
 と天井を眺めている仁左衛門の横顔が恐ろしくなったこともある。
 商売がうまくいっていないのか夫婦仲が悪いのか、何か悩みがあるのかと天井を見ながらお歌も考えた。
 しかし倅がいることなどは知らなかった。
 隠居するのに早い歳でもないので家督を譲る方法だってあるだろう、親子ともども贔屓にしてくれればこちらとしてはありがたいとお歌が思った時、仁左衛門の倅と名乗った男は頭を下げた。
「これからはわたしがまめに通ってきますからどうかお歌さんから父に、来るなと言ってもらえませんか。病が深くやけになっているのかわたしの話はまともに聞いてくれませんもんで」
「病にかかっていらっしゃるとは気がつきませんでした。そうでしたか。それは心配なことで」
 お歌はそう返事をしたが、自分から上客に来ないでくれとは商売柄言えるわけもない。
 しかし感じの良い息子がまめに通ってくるなら病のある者よりは確かかもしれない。
 とりあえず店主に相談でもするかと考えたが、「どちらもうまいこと言って引っ張るのがおまえさんの腕だろう」などと言われるのはわかりきった話だったので黙っていることにした。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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