よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第二話 おばけ騒ぎ始終

島村洋子Yoko Shimamura

   一

 禿(かむろ)のこりんが息を切らせて走って帰ってきた。
 禿はふだんもうひとりの禿とふたり、花魁(おいらん)につき従っている。
 いつも座敷にいるか花魁の顔見せ道中に同行する以外は外出することなどないのだが、秋祭も終わって少し店も落ち着き、半日の休みをもらってこりんとおふくのふたりは京町(きょうまち)の裏にある九郎助稲荷(くろすけいなり)に詣でたあと吉原(よしわら)の中にある商店街、揚屋町(あげやまち)に新年用の足袋(たび)を注文しに行ったりしていたのであった。
 しかしどういうわけかどこかではぐれてしまったらしい。
 はぐれたといってもしょせんお互いに売られた身で吉原の外に出ることはできない。
 おふくはさっさと日のあるうちに店に帰ってきたのだが、こりんだけが夜になっても戻らない。
 夜からの仕事がどれだけ大事なのかは子どもにもしっかりわからせているので自分から店に帰らないということはまず考えられないから、何かの事故にでもまきこまれたのかと春日屋(かすがや)は大騒ぎになった。
 忘八(ぼうはち)やら下男やら風呂焚(た)き女やらがかわるがわるこりんを探しに表に出たのだが、どうにもこうにも見つからない。
 お歯黒(はぐろ)どぶにでも落っこちたのかとみんなが恐れはじめた頃、こりんはひとりで泣きながら走って帰ってきた。
 尻のところやら足袋やらが汚れているので誰かに突き飛ばされたのかとも思い、花魁の龍田川(たつたがわ)は叱るよりも心配になって尋ねた。
 するとこりんは、
「お稲荷さんで、お、おばけを見てすっころんで気を失って気がついたらこんな時間になったんでありんす」
 と言う。
 嘘(うそ)をつくにしてももっとうまい嘘がありそうなものなのに、いったいこの子は何を言っているのだろう。
「ちょいと、おばけったってあんた」
 と言いながらもはや客の前に出る時間だったので龍田川はすべてはあとから聞くことにした。
「あしたのお昼にでも聞いてやるから、とりあえず足だけでも洗ってきやれ」
 と言い、もらいものの饅頭(まんじゅう)をこっそりこりんにやった。
 ひとつしかなかったのでおふくに見つかったらすねてえらいことだったが、うまく渡せた。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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