第二話 おばけ騒ぎ始終
島村洋子Yoko Shimamura
六
お峰が前も後ろも昨日も明日も考えず、ここ吉原に慣れてきたのはかどわかされた事件から一年半ほどたった頃だった。
白いおまんまをおかわりまでして食べられるし、それなりの着物も着ることができる。
この町から出られない不自由はあったが、毎日は不足のない暮らしである。
ただ母の気持ちを考えるとたまらなくなっていたが。
忽然(こつぜん)といなくなった娘のことをどう思っているのだろうと母の気持ちだけを心配していた頃、救いの神が現れた。
お峰は龍田川のような花魁とは違い、下層の女郎なので顔を見せるために格子の中に座っている。
道行く男たちが見て、気に入ったら指名してもらいお床入りするという寸法である。
格子越しに女郎を見る男たちの目はたいがいが欲望にギラつき、皆、同じ表情をしている。
お峰は目がぱっちりで鼻は小さく、唇がぽってりとして、ぼんやりした灯(あか)りの下では特に美しく見えたので、他の女郎のように道行く男たちと必死に目をあわせて媚びることもせずに座っていればすぐに客に指名されることが多かった。
その日も道行く男たちを見ることもなくぼんやり眺めていると、
「あっ!」
と行きすぎてから声を上げて戻ってきた者がある。
その戻ってきた男の顔にはお峰にも覚えがあった。
幼馴染(おさななじ)みの信太(しんた)である。
同じ長屋に生まれ育ち、信太は子どもの時から利口といわれていた評判にたがわず、大工の見習いに入ったと思ったらもう何人かを使うようになっていた。
「お峰ちゃん」
囁(ささや)くようにその口が動いたかにお峰には見えた。
そして信太はお峰を指名して店にあがってきた。
安い女郎といえど大見世(おおみせ)なのでそれなりの金額にはなる。
お峰には自分の部屋があるわけではなく、だだっ広い畳の部屋についたてを立てて雑魚寝(ざこね)のようにしてことに及ぶわけである。
「お峰ちゃん、こんなところにいたのかあ」
布団をかぶってその中で信太は囁いた。
「お峰ちゃんがいないって大騒ぎになって、おっかさんは必死で何日も何日も探してさ」
「あたしにもわけがわからなくて」
お峰も布団の中の暗がりでそう言った。
見知らぬ男がやってきて手伝いにいった葬式で母が倒れたから来いというので、その男についていったが最後、わけのわからない所へ連れていかれて客を取らされるようになった。
それからしばらくしてからここに買われてきた、とざっと説明した。
「やっぱりそういうことだったのか。あの川っぺりのとこまではおっかさんは探し当てたんだけど、それから先がわからなかったらしくてさ」
信太の話ではお峰を売ったのはやはり義理の父らしかった。
気の弱い男だったが秘密に借金を重ねていて、どうにもこうにもいかないほど追い詰められてしまい、義理の娘のお峰を売ることにしたらしい。
しかしそんなことを女房に言っても反対されるに決まっているので、何かで女房が外に行く日が来るのを待っていたのだ。
- プロフィール
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島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。