よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第三話 絵馬の花嫁

島村洋子Yoko Shimamura

   一

 四郎兵衛会所(しろべえかいしょ)というのは吉原大門(よしわらおおもん)を入って右にある板屋根でできた私的な警備組織である。
 そもそもは大店(おおだな)の主人である三浦屋四郎左衛門(みうらやしろうざえもん)が雇人の四郎兵衛という男を常時、警備にあたらせたことからその名がついたと言われる。
 吉原という色街は男は誰でも出入り自由であるが、女は手形がないと出られない。
 その女たちの監視をするのが四郎兵衛会所の主な役割である。
 大門を入って左側にはお上(かみ)の正式な警察組織である瓦屋根の面番所(めんばんしょ)があり、隠密廻(おんみつまわ)り同心二人と岡っ引きひとりがあらゆる捜査を担っている。
 面番所の人間が公に勤めているのに対して、四郎兵衛会所の男たちは各店から派遣されている。
 一年近くたって近頃、ようやく仕事に慣れてきた四郎兵衛会所の寅吉(とらきち)も大店の三浦屋から派遣された人間である。
 大柄な体躯(たいく)そのままのおおらかな性格で、裏表のない真っ直(す)ぐな気性を見込まれて店からやってきた。
 はじめのうちは出入りする女の区別がつかず、同じ者を何度も誰何(すいか)しようとして鬱陶しがられたことや三交代の不規則な勤務に疲れてぼうっとしていて先輩に叱られたこともあったが、最近では相手の仕草でたくらみのある者かそうではないのかがわかるようになった。
 何かことを起こそうとする者はからだの動きよりまず目が動く。きょろきょろというのでもなく、何かを隠そうというのでもなく、相手の見るほうを先回りするように目玉が素早く動くのだ。
 コツと言うほどでもない、そんな心得を寅吉は、角海老楼(かどえびろう)からやってきた新入りの一太(いちた)に、もったいをつけながら教えた。
 一太は寅吉の言うことに「先輩、さすがですねえ」といちいち大げさに感心するので単純な性格の寅吉は話していて気持ち良くなった。
 その日も襟足の長さで女を記憶する方法を教えたあと、夕刻に町に出た。
 いつも派手な色街にいる反動なのか、寅吉は仕事が終わると静かな店で一杯やるのが好きだった。
 遅い時間だったが湯島天神(ゆしまてんじん)からほど近い蕎麦屋(そばや)で、冷酒をひとり呑(の)む。
 寅吉はひとり者で決まった女もおらず、肉親は江戸にいたけれど、盆と正月以外はお互いに音信もない。
 はじめは呉服屋に奉公に上がったのだが長続きはしなかった。
 それから二年、流れ流れて三浦屋に入った時はうまくいくかと不安だったが、四郎兵衛会所の仕事にも慣れいまはこれといって不満も無かった。
 その晩も少し足元がふわりとする程度に酔い、そぞろに歩いていたら封書が落ちているのを見つけた。
 誰かが大事な書き付けを落としたのだとしたら困っているだろう、よし番所に届けてやろうと思い、寅吉は長い手を伸ばしてそれを拾った。
 手に取ってよく見てみると何かが変である。
 白いはずの封書がほんのり赤く見える。
 二合の酒でそんなに酔ったのかと訝(いぶか)しみながら寅吉は、月明かりの中、封書を開けてみた。
 するとそこには一両の小判と驚くべきことが書かれた手紙があった。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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