第三話 絵馬の花嫁
島村洋子Yoko Shimamura
十一
遣り手ばばあのおきぬは日に日に弱ってくる花魁龍田川の様子にいてもたってもいられず、薬喰いやら玉子やら大蒜(にんにく)やら手に入る物は主(あるじ)の春日屋幸兵衛と相談して食わせ、のぼる朝日にも神仏にも祈ったが、はかばかしくなかった。
ついには吉原の揚屋町(あげやまち)筋の裏手にある八卦見の爺(じい)さんのところにまで行った。
つまらぬ噂が広まることを恐れて自分のところの花魁の容体が悪いとは口が裂けても言えないので、知り合いの娘が謎(なぞ)の病で寝込んでいて一向に良くならないのだがどうしたものだろう、と相談したのである。
八卦見の爺さんはおきぬが若い頃から吉原にいて、悩んだ女郎たちによく当たると評判である。
小さな看板の表はすだれで見えにくくなっているが、中はぼんやりと明るかった。
知り合いの娘さんです、とおきぬが言って渡した龍田川の生年月日と本名を書いた紙を爺さんはじっと見た。
「恨みというか、妬みをたくさんかっておいでのお人らしいな」
爺さんは紙から目を離さずに言った。
たしかに本人には悪気はなくても美しく生まれて人気があるだけで、そうではなかった女に妬まれたり嫌われたりするだろう。
女にだけではなく花魁というのは金がない男には遠くから熱望され、金のある男はそれなりに親しくなれても誠の気持ちが手に入らないことによりいっそう恨みに思われる商売である。
値の張る着物を身につけて、贅沢(ぜいたく)な物を食べられても枕を高くして毎日、幸せに暮らしている花魁などどこにもいないのだ。
爺さんは息をひとつ吐くとおもむろに筮竹(ぜいちく)を手に取った。
易というのはいろいろな占法があるが多くの場合、五十本の細い竹籤(たけひご)を用いる。
それをどんどん半分に割っていき、残った本数で卦を導き出すのだ。
しゃっしゃっという筮竹の音を聞きながらおきぬは胸が締め付けられそうになった。
お鯉(こい)という名のまだほとんど赤ん坊のような小さな女の子が拾われて来た日のことを、おきぬは昨日のことのようによく覚えているのだ。
その子が驚くほど賢く、美しい花魁になるまではあっという間のことだった。
そのあいだに自分の借金が減り、春日屋の好意で裏方となって早や幾星霜(いくせいそう)、たしかに春日屋にはもうひとり美しい一津星という花魁がいるが、おきぬに言わせれば龍田川と比べるとお話にならない。
それがわかっているのかいないのか、もうひとりの遣り手ばばあであるお糸は必死になっているが。
爺さんは台に置かれている短くて黒い六本の木をひっくり返したりそのままにしたりして囁くように言った。
「山地剥(さんちはく)が出たんじゃが、これはいわば難卦(なんげ)のひとつじゃ。こちらが寝床にいるのを誰かが足を引っ張っておる。象(しょう)で言うなれば内側から山崩れが起きているようなものじゃ。誰かに呪(のろ)いをかけられておるんじゃな」
「えっ、そんなこと……誰からですか」
「さあ、わしはただの八卦見じゃからそんなことは見えん。詳しくは拝み屋にでも見てもらうしかないが、外から崩れているのではないから身内じゃろうな」
「身内ですか」
そう言われても見当がつかなかったおきぬがとぼとぼ歩いて店に帰ろうとしたところ、
「おきぬさん、ちょっと頼まれごとを聞いておくれでないかい?」
と声をかけて来た者がある。
髪結いの清吉だった。
「おきぬさん、花魁を助ける方法が見つかったんだがどうしてもあんたの力が必要なんだよ」
「花魁を助けられるんですか?」
龍田川のためならばなんでもしたいおきぬは二つ返事でそれを引き受けることにした。
「ちょっと俺についてきて欲しいんだ」
清吉に耳打ちされておきぬは半日の休みをもらい、町に出た。
- プロフィール
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島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。