よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第三話 絵馬の花嫁

島村洋子Yoko Shimamura

   十
 
 大木戸(おおきど)の大塚庄兵衛は昔、与力だった。
 代々江戸の人間で、本人も曲がった事が大嫌い、父も祖父もそうだった。
 庄兵衛も順調に出世し、あと数年で隠居して息子にこの道を継がせるのだと日々、誠実にお勤めを果たしていた。
 しかし落とし穴はわからないところに掘られているもので、使い込みが発覚した事件に巻き込まれ、庄兵衛も見習いだった息子ともども連座させられてある日突然、御役ご免になったのである。
 自分の日頃からの真面目な勤めっぷりは上司も朋輩も知るところだと思って庄兵衛は濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)であることを涙ながらに訴えたが、聞き入れられなかった。
 後でよくよく聞いてみたらその上司連中が後ろめたい事をしていたので真面目な庄兵衛が邪魔になり、一計を案じた結果らしかった。
 晩年が思いもよらないこととなり、庄兵衛は腐ったがそれでも妻や息子たちともどもなんとか生きていかなくてはならない。
 長いあいだのいろいろなつてをたどってみたが、なにしろ汚名を着せられているので仕事の口はおいそれとはなかった。
 そんな時、息子の初右衛門(はつえもん)がどこからか訳のわからない仕事を持ってきた。
「武士がすることではないとも思いますがこの際、私は婚礼や葬式の手伝いに行こうと思います」
 婚礼はともかく葬式の手伝いなどとは縁起でもない、武士の名折れであると庄兵衛は思ったが、今朝(けさ)ほど女房に空っぽの米櫃(こめびつ)を見せられたところである。
 初右衛門の下にも二男がある庄兵衛としては背に腹はかえられず、そんなことはよせとも言えなかった。
「いえそれで父上にご相談なんですが、その商売は品のいい老人が是非とも必要らしいんですよ。父上も私とともにお勤めされませぬか。いやならすぐにやめればいいんですから」
 長男の初右衛門はもともと慎重なたちで無闇につまらぬことを持ちかけるとも思えない。
 傘張りの技術などもない、これから何のあてもない庄兵衛としては断れるわけもなく初右衛門と出かけることになったのだが、それは実に不思議な仕事だった。
 有り体に言えば、人をかどわかしてくるのである。
 そして金品を要求するのかと思えばさにあらず、逆に金品を渡すのだ。
 若くして死んだ娘を不憫に思う親が、年の釣り合いそうな男を見つけてきて祝言の真似事をして冥福を祈るのだ。
 海の向こうの唐だか明だかの古い風習らしいが、このあたりにも稀(まれ)にそういう供養をする家が未(いま)だにあるらしい。
 しかしそんな不気味な新郎の役を好んでやりたい男もいないので、赤い封書に金を包んで道端に置き、それを拾った男が神から選ばれた新郎だと決めて連れていくのだ。
 いやもおうもない。
 神の差配なのでその男に来てもらうしかないのだが、そのわけを話している時間もない。
 かと言って罪を犯すことも力ずくで拉致して行くわけにもいかないので、封書を拾って戸惑っている若者を一瞬で説得しなければならない。
 そこで庄兵衛のような、疑われにくい品のいい老人が必要になるのである。
 因果を含めるように、
「まあまあ、とりあえずここはこれにお乗りになって」
 と後ろに控えた駕籠に若者を案内する。
 丁寧だが有無を言わせない迫力も必要である。
 そこは昔取った杵柄(きねづか)で、庄兵衛にはやはり一日の長がある。
 若者は十中八九、庄兵衛の迫力に気圧(けお)されるような、丸め込まれるような、まるで見えない何かに引っ張られて行くような様子で駕籠に乗る。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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