よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第三話 絵馬の花嫁

島村洋子Yoko Shimamura

 花嫁の姿を思い浮かべた時、吉原に遊びに来ては花魁道中を眺め、
「あの龍田川は美しいなあ。三国を探してもあんなべっぴんどこにもいやしないだろうな」
 とあまり色の良くない唇で丑蔵が言っていたのをお糸は思い出したのだ。
 幼い禿の頃から知っていたし、気持ちの優しい器量良しで憎む理由も無かったが最近、もうひとりの看板花魁である一津星付きになったお糸にとって龍田川はもはや目の上のたんこぶである。
 それまでは挨拶を交わすくらいでその存在を気にもとめなかったおきぬが、遣り手ばばあの先輩面をしてあれやこれや命令してくるのも気に入らなかったし、自分が付くようになって一津星がますます売れたとなればこちらの店での待遇も良くなるだろう、これは一石二鳥だとお糸は絵馬の花嫁の絵を龍田川にしてもらいたいと冥婚屋に願い出たのである。
「え、生きた女? いやそれはとんでもないことですよ。迷信だと言われたらそれまでですが、絵に描かれた生きている人があの世に引っ張られていきますよ。それはやめたほうがいい」
 そう初老の冥婚屋に断られたが、それを黙って見ていた息子らしい男が帰り際、
「大丈夫でございます。絵師にも因果を含めねばならないのでお代は倍になりますが、その花魁の絵姿を絵馬にお描きいたしましょう」
 と言ってくれた。
 筋はいいが訳ありらしい絵師は相当の腕で、まるで龍田川の生き写しのように描いてくれ、それは無事に東八幡宮に納まった。
 途端に龍田川が床についたのも不思議なことであったのだが、それより不思議なのは伏せっていたのに突然、元気になりそれと交代のように今度は一津星のほうが倒れてしまったことである。
 その時、冥婚屋から東八幡宮に行って見てくれと知らせが来た。
 とにかく急がなくてはと走りに走ったお糸は、堂内で信じられない物を見た。
 
   十四
 
「お加減良さそうで、本当にようございましたなあ」
 と龍田川の豊かな髪を元結できつく縛りながら清吉は言った。
 鏡の中の龍田川は少し痩せたようだが、それによっていっそう色気が増したようにも見える。
「ほんに、とにかく体が熱うて熱うて、それに怖い雪の日の夢ばかり見ましてな」
「雪の日の夢?」
 そういえば自分も怖い大雪の日の夢を見るのだが、世の中の者は皆そうなのだろうかと清吉は思った。
「熱いから寒い日の夢を見て体を冷まそうとしているんですかね」
 そう言いながら清吉は階段を挟んで奥の部屋の音に気をつけていた。
 気のせいかどこからか味噌を焼いたような香ばしい香りが漂って来ている。
「あれはなんの匂いですか」
 清吉の問いかけに龍田川は、
「牡丹でありんす。猪の肉、いまお気の毒に一津星さんがどういうわけか調子が悪くなって薬を食べていらっしゃるようで」
 と言った。
 やっぱり、と清吉は声には出さないがうなずいた。
 この龍田川の髪を結いあげたらその足で湯島まで行かないとならない。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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