よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第三話 絵馬の花嫁

島村洋子Yoko Shimamura

   二
 
 吉原の髪結いでは一、二を争うという腕だと評判の亀屋(かめや)の清吉(せいきち)は、その日も二軒の大店を回ったあと春日屋(かすがや)にやってきて売れっ子花魁(おいらん)の龍田川(たつたがわ)の髪を結っていた。
 龍田川の豊かな黒髪は少し癖があったがこちらの言うことをよく聞き扱いやすかった。
「へえ、そんなこともありんすか」
 龍田川は戸惑いながら話す清吉の話に、驚いたように声をあげた。
 清吉が以前、勤めていた湯島にある小さな八幡宮(はちまんぐう)の話である。
 清吉は昨日、用足しの帰りにそこで信じられないものを見てしまったのだ。
 その東(ひがし)八幡宮は湯島の天神様ほど有名ではないので参詣人はそれほどいないのだが、ある特色があった。
 それは「死者の願いを叶(かな)える」という珍しいものである。
 例えば、生きているうちに行けなかったお伊勢(いせ)さんにあの世で参詣できますように、あるいは一度食べてみたがっていたどこどこの名物をあの世で腹いっぱい食えますようになど、残された縁の者が死んだ者に代わって絵馬を奉納してお願いするのだ。
 叶ったかどうかはあの世のことなのでこちらでは確かめようもないのだが、死んだ者が代わりに願をかけた者の夢に出てきて「伊勢は大きく立派なところだった」とか「あそこの名物は噂(うわさ)に違(たが)わぬうまさだった、ありがとう」と礼を言うことが稀(まれ)にあるらしい。
 この世に生きているとこの世こそ正しくあの世が幻だと思いがちであるが、実はすべての魂はもともとはあの世にあるもので、その中の勉強したい魂がたまにこの世に修行に来るだけのことだからあの世での幸福、いわゆる冥福を大切に思うのが本当だと信じている者もいるのだろう。
「若くして死んだ者の親の中には嫁を取れなかったことを不憫(ふびん)に思う者もいるらしくて」
 と清吉はここまで言い、次の言葉を龍田川に言うか言うまいか悩んだ。
「ああ、なるほど。親心というものでありんしょうねえ、切ないことで」
「あの世で嫁が取れるようにと願をかけて仮の祝言というか祝言の真似事(まねごと)をする者もいるそうなんでさあ」
 という清吉の言葉に龍田川は鏡越しにうなずいた。
 ここ廓(くるわ)で花魁を求める男もそうである。
 ただの一時だけのまぐあいとは違い、大金を使って花魁と馴染(なじ)みになり、三度目からは自分の名前が書かれた箸が出てくるようになって婚礼を模した祝宴があり、三三九度をして初めてお床入りになるのである。
 かりそめといえど三国一の器量良しを娶(めと)るのはまさしくこの世の男の夢であろう。
 だからみんなここ吉原に来るのだ。
 そんなこともできず惚(ほ)れた女もいなかった息子を不憫に思う親は、東八幡宮の小さな絵馬に「何月何日にみまかりました佐野村(さのむら)乙吉(おときち)の冥土での婚儀、よろしう頼みます」と書いたりするのだが、中には大金をかけて名のある絵師に息子と花嫁の姿を大きく描かせて奉納する者もあるそうである。
 その場合は浮世絵に描かれた美人の茶屋の看板娘にそこはかとなく似せた花嫁の絵もあったが、この世に生きている者を描くのは絶対に御法度だった。
 なぜならその娘は早晩かりそめの夫によってあの世に連れていかれることになるからである。
 清吉は昨日、昼間というのに薄暗い堂内に掲げられていた真新しい木の板に描かれた美しい婚礼の絵を見上げた。
 辰巳村(たつみむら)丑蔵(うしぞう)二十歳(はたち)と書かれた文字が哀れを誘う。
 流行(はや)り病なのか事故なのか二十歳でみまかるとは気の毒なことだと思ってその絵を眺めていた清吉だったが、ふと隣に描かれた綿帽子の美しい花嫁の姿を見て息が止まった。
 白装束の花嫁の顔は春日屋の花魁、龍田川に瓜二(うりふた)つだったのである。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

Back number