よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第三話 絵馬の花嫁

島村洋子Yoko Shimamura

 それは庄兵衛の後ろに死んだ娘が付いていて、自分の新郎を逃すまいとしているようにも思えるほどである。
 あとはその都度借りている、婚礼の準備を整えた古い立派な屋敷や廃寺などに連れていけばいいのである。
 それは夢の中の出来事か浦島太郎が乙姫(おとひめ)様に見せられた竜宮城での宴会かと思えるほどに幻想的な宴(うたげ)なので、新郎にされた若者はぽかんとしている。
 その場には食いつめて雇われた客もいるが、死んだ娘の親戚も葬儀のつもりで並んでいるので実際、心のこもった集まりになっている。
 当初は不気味な仕事だと思っていた庄兵衛も、やっているうちにこの「冥婚屋(めいこんや)」と呼ばれる仕事はまたとない良いものだと思うようになってきていた。
 大金を渡して新郎を帰したあとは娘を棺(かん)に入れて通常の葬式が始まるのだが、それまで悲しげだった娘の身内がなんだか晴れ晴れと満足気になり、口々に「良かった、良かった」と言っているのを聞くと、何やら人助けになっている気がしてくるのだ。
 おおっぴらに自慢できる仕事ではないが、紋付羽織り袴を着てそれほど悪くない日当をもらえるのだから、庄兵衛は満足していた。
 このような婚礼の宴ができるのは恵まれた暮らし向きの家だけだが、そうでない場合も息子の初右衛門ともども引き受けるようになった。
 死者の冥土での願いを叶えてくれるという神社に、婚礼の絵馬や死んだ赤子の成長した姿絵を奉納する手伝いもした。
 死者と遺族が満足するようにたいがいのことは承知する庄兵衛だったが、断ることも稀にはある。
 先月、甥を亡くしたという初老の女が紹介されてやって来たのである。
 身なりは良いが変な色気のある女で、よくよく聞いたら吉原で働いているという。
 なんでも女郎ではなく、裏方のほうで店の用事をしていて半年に一度くらいは外に出て来られるのでその都度、たったひとりの肉親である甥にも会っていたらしい。
「心の臓の病であっというまに死んでいたらしく、最期くらい看取ってやりたかったと不憫でなりません」
 そう言って涙を流す女を気の毒に思った庄兵衛は、東八幡宮に大きい絵馬を奉納したいというのを承諾した。
 しかし話はそれからずいぶん変な方向に進んだのである。
「だいたいはふたりが立って正面を向いた絵にされますがそれでようございますか」
 と言う庄兵衛の言葉に大きくうなずいた女が、
「はい、それで」
 と言ったあと、
「お代は二倍払いますから、女は私の知っている生きた女にしてほしいんですが」
 と付け加えたのである。
「え、生きた女? いやそれはとんでもないことですよ。迷信だと言われたらそれまでですが、絵に描かれた生きている人があの世に引っ張られていきますよ。それはやめたほうがいい」
「そうは言っても生きた人を捕まえてきて祝言をあげさせても相手は元気なんでしょう? ならば絵だって大丈夫なはずではないですか」
 なんの思い入れがあるのか、初老の女は急に強い調子になった。
「あれは三三九度を水盃(みずさかずき)でやりますし、宴が終わったあとお坊さまがいらっしゃってお葬式をやって残った者で成仏を願いますもんで、心配はないんですよ。その点、絵は婚礼衣裳(いしょう)のままずーっと堂内に置かれるから、神様も勘違いなさって連れていかれるというんでしょうね」
 こちらの説明を納得いかないというふうに聞いていた女だったがしばらくして、では考えて出直して来ますと頭を下げたので、庄兵衛はそのことをそのうち忘れていた。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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