よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第三話 絵馬の花嫁

島村洋子Yoko Shimamura

   三
 
「恐れながら一筆申し上げます。この文を拾われしお方にはお頼みすることがございます。断ることは絶対にできませぬのでお覚悟のほどよろしくお願い申し上げます」
 その拾った手紙の文字を月明かりで読んだ寅吉はその意味するところを考える間もなく、夜陰からザザッと現れた数名の男に取り囲まれた。
 長身の自分より大きな男たちに両脇はがっちりと押さえられ身動きひとつ取れない。
 寅吉は恐怖のあまり声も出せなかった。
 なんだかわからないが、絶対に人違いに決まっている。
 だいたい俺(おれ)なんか捕まえても金も身分も何もないのだから、と思いつつこの拾った文のせいかと思いながら寅吉は、
「か、返す、この金なら」
 と押さえられた腕を振り払って封書に入っていた小判を取り出そうとした。
「いえ、それは貴方(あなた)さまのものでございます。ことが無事に終わりましたらまた新たにお礼を差し上げます。手荒な真似をするつもりはございません。あまり遠いところでもありませんので少々、お付き合いを願います」
 目の前に現れた身なりの良い初老の男に頭を下げられ、丁寧に促されて寅吉は後ろに控えていた駕籠(かご)に乗せられた。
「な、何かの間違いではないのか。俺は四郎兵衛会所の寅吉だぞ」
「そうです、貴方さまでございます。寅吉さまですね。神田(かんだ)の」
「いや、親は白山村(はくさんむら)だ。俺は吉原、三浦屋の寅吉だぞ」
「そうでございました、そうです、白山村の」
 なんだかこちらのことがはっきりわかっていないとってつけたような返事だったが、駕籠は動き出した。
 揺れる駕籠の中でどうやってうまく逃げようかと苦心した寅吉だったが、屈強なからだの男たちが周囲にいる気配がするのであきらめた。
 何の価値もない自分なんかを拉致(らち)してどうするのだろうとそればかりを考えていた。
 知り合いの女郎をうまく大門から連れ出したいので、偽の女切符(おんなきっぷ)を見咎(みとが)めないでくれとか、女郎を連れ出してきてくれとか、そういう話なのだろうか。
 四郎兵衛会所はふだんは四人で詰めていて、切符の確認を二人以上で行うのでかなり難しいが、相方の隙を窺(うかが)えばできぬことでもないかもしれない。
 しかしそんなことだったらこんなに大仰なことをせず、蕎麦屋の入り口かどこかで声をかけてくれば話はできるのではないか。
 そもそもあの薄赤い封書が絡んでいるのは間違いなさそうだが、自分以外の者が拾っていたらそれはどうなっていたのだろう。
 寅吉には何がなんだかさっぱりわからなかった。
 ただ底知れぬ恐怖でいっぱいである。
 揺れるからだを懸命に支えながらこんなことになるのならもっと親孝行をするべきだった、と寅吉が思い始めた時、
「着きましたぜ」
 と言う声がして駕籠の戸が開けられた。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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