第三話 絵馬の花嫁
島村洋子Yoko Shimamura
七
「花魁の熱がいっこうに下がらないんですよ」
医者を呼びはしたのだが、流行り病でもないらしく原因がわからない。
今日明日など急にはどうにもならないので客に断りをすることになり、女将(おかみ)のお時(とき)も店主の春日屋幸兵衛も頭を抱えた。
この世界は花柳病や胸の患いなどいろいろあるのだが、春日屋の一津星と龍田川の二枚看板の花魁は丈夫なたちでいままで何も大ごとは起きなかったが、このところ龍田川の加減が悪く、伏せっている。
昨日はひとつ百文もする玉子を食べさせてみたが食欲もないらしく、いっこうに良くはならない。
女将のお時が思い付いたように幸兵衛に、
「ねえあんた、あれはどうだい? 薬喰(くすりぐ)い。両国(りょうごく)まで使いをやってももんじやで牡丹(ぼたん)を買って来ては。年寄りなんかはくたびれていても、食べれば精がついて汗が出て元気になるって噂だよ」
と言った。
牡丹というのは猪(いのしし)の肉のことである。
狩って来た猪を味噌(みそ)で煮込み、薬喰いと称して鍋で食べるのが食通の間では流行していたが、うまいだけではなく滋養強壮にもなるといい、味噌漬けの肉を分けてもらい、こっそり家で焼いて病人に食わせることもあった。
「そりゃ臭くならないのかい、花魁や店中が」
と言って一度も猪を食ったことのない幸兵衛は恐れたが、
「少々何かあっても花魁の命には代えられないでしょうが!」
と女将に叱られ、両国まで小僧の使いを出した。
戻って来た小僧が差し出した竹の包みに入った赤身の肉は大きく、臭みがあるどころか葱(ねぎ)とともに焼いてみるととんでもなくうまそうな香りが漂い、幸兵衛は女将が目を離した隙につまみ食いをした。
思わず、おお、うまい! と感嘆の声が出そうになった幸兵衛は、近いうちに必ず両国まで出かけて腹一杯これを食べるのだ、と心に誓った。
- プロフィール
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島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。