第四話 星形のしるし
島村洋子Yoko Shimamura
べつにここで名乗ってどうという野暮な考えも持たず、そのお歌とやらの星形のほくろを拝ませてもらって運がついたら御の字くらいの軽い気持ちで。
しかしお歌もお歌で龍田川ほどの美貌ではないが、魅力のある女だった。
星形のほくろも真っ白な背中も拝んだところで護久は引き上げることにした。
女も酒も博奕も狂う者が出るほど楽しいことなのはなるほどわかったが、やはり自分にはそれほどの魅力はなかった。
淡々とまた季節の庭を眺めて時をやり過ごすだけであるが、それでも少しは人の役に立ったのではないかと思えば嬉しかった。
海苔屋の倅である新兵衛は帰り際に、
「五代目忠左衛門を襲名いたします前、秋に祝言をあげる予定でございます。是非、先生にも祝宴にはご列席賜りたく存じております」
と頭を下げた。
「おお、それはおめでとうございます」
作り笑いを浮かべながらも内心、痛し痒(かゆ)しというか、新兵衛も普通の男なのだなとわかった護久は傷ついていたが、もちろんそのことを口にする護久ではなかった。
ただ光あふれる庭の苔むす緑の石のように静かに目の前の人を最後までもてなしていた。
九
あの晩、客が忘れていった黄表紙で、お歌を夢中にさせた話はこうである。
唐のある町に波斯(ペルシヤ)から流れてきた人気のない踊り子がいた。
踊りはうまく声良く歌えて、容姿もそれなりに美しかったのに、どういうわけかなかなかお座敷に呼ばれない。
他のたいして芸のない踊り子のほうが人気があったりするので女は悩み、高名な易者のもとに行った。
すると易者は、
「そなたは誰かの妻になるとでしゃばらず優しくいい塩梅(あんばい)の女だが、いまはそれがいけない。見る者に強い印象を抱かせて強さを見せねばならぬ仕事なので、何かからだに目立つ印をつけて皆の記憶に残るようにすれば出世する」
と言ったのである。
踊り子は素直に易者の言うことを聞き、臍(へそ)の横に羽ばたく鳥の入れ墨を入れた。
するととたんに人気が出て、当代一の踊り子として名を馳(は)せ王の寵愛(ちょうあい)を受けるに至った。
困った時は他人の進言を素直に聞いた者の勝ちであるという教訓までそこには書かれていた。
お歌はそれを読み、思うところあって自分も入れ墨をする決意を固めた。
海の向こうの踊り子のように腹を出して臍を見せるわけではなかったが、肩や腕などからちらりと見えて色気のあるものが良い。
なにしろここ吉原では、惚(ほ)れた腫(は)れたの生きるの死ぬのの大騒ぎがしょっちゅうあり、情人(いろ)の名前を腿(もも)やら腕に彫って使い物にならなくなる女郎は枚挙にいとまがなかった。
- プロフィール
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島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。