よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第四話 星形のしるし

島村洋子Yoko Shimamura

 別の大店(おおだな)の倅にも父を諌めてくれと頼まれたとでもいうのだろうか。
 いや、そんな偶然あるわけはない。
 店に戻った清吉は、おしのばあに、
「草餅をいただいたんだけどどうだい」
 と蓬の香りのする餅をもらった。
「え、いいんですか。もうそんな季節ですか。草餅は大好物です、ありがとうございます」
 と言う清吉に、
「どういうわけかこの緑の香りというか青臭い匂いが苦手でね。むかっと来るんだよ。みなさんこの香りがたまらなくおいしいらしいんだが、こればっかりは好みのものでね」
 とおしのばあは白髪交じりの髪に手を添えて言った。
「じゃ、遠慮なく」
 と餅にかぶりつくと鼻から春の息吹が感じられてほっとする清吉は、これがいやだとは人の好みというのは誠に不思議だな、と思った。
「あっ」
 思い当たることがあったのだ。
「ちょっと芳町(よしちょう)まで行ってきます」
 と粉のついた手もそのままに清吉は店を飛び出した。

   八

 ほとんどの人間が働きに働いても暮らしがままならないまま一日をあるいは一生を終えるというのに、この世には金と暇を持て余している者も数は少ないが存在する。
 茶の湯、北千家(きたせんけ)家元の惣領(そうりょう)である加賀見護久(かがみもりひさ)もその口であった。
 武家屋敷が立ち並ぶ南部坂(なんぶざか)の一画にある古い屋敷で日がな一日茶を立てている。
 今の時期の庭は新緑といつも変わらぬ苔(こけ)の緑が相まって美しい。
 その時期により掛け軸を変え茶碗(ちゃわん)を変え、茶室に飾る野花を入れ替え、庭先に水を撒(ま)き、招く人は変われどもすることは毎日ほぼ同じ、客人と天気の話をしようが京の流行(はや)り物の話をしようがその一年は一日も変わらない。
 自分の一生も突き詰めればなんでもないこの一日と同じようなものに違いないと思うと護久は、多少貧乏はしても何処か遠くで刺激のある日々を送りたいと子どもの頃から焦がれるように願っていた。
 不満といえば他の表や裏の家元たちよりどういうわけか格が落ちるというような扱いをされることと、彼らが引き受けないような出稽古(でげいこ)の機会が多い流派であることくらいであったが、出稽古のほうが見入りがいいことを考えれば悪いものではなかった。
 父とは親子というより師匠と弟子の関係だったし、物心ついた時には母もいない一人っ子で、肝胆(かんたん)相照らす友もなく、茶道具を友にするしかなく生きてきた。
 そんな護久がひょろ長い体躯(たいく)を伸ばして庭木の枝の葉をつかんで裏返し季節の変化を感じている時、
「春のお菓子でございます」
 と出入りの菓子屋がやって来た。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

Back number