よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第四話 星形のしるし

島村洋子Yoko Shimamura

   五

 龍田川は気が気ではなかった。
 当世一代の似顔絵師菱川永徳斎(ひしかわえいとくさい)が、龍田川と並び立つ春日屋の昼三(ちゅうさん)である一津星を描きたいとやってきて描いた姿絵がいま大評判なのである。
 吉原界隈(かいわい)だけでなく男衆はおろか、町娘にも憧れの容姿を持った女として、その絵姿は刷ったそばから飛ぶように売れているらしい。
 いつもなら「昼三御両人、ぜひお並びいただいて」と絵師から乞われ、そうかいそう言われちゃあしょうがないねえ、といった具合におっとりと立ち上がる龍田川だったのに、菱川永徳斎が自分にそれを言って来なかったことにも納得がいかなかった。
「ひとりひとりを大きく描く絵なんですかね。するとこの次は花魁の番でしょう。楽しみですねえ」
 などと気を回したのか、思ったままを口にしただけなのか禿のこりんの言葉に、なるほどと思ったがどういうわけか心が騒いだ。
 やはり清吉が一津星のために考えた新たな髪形が流行っているのだろうか。
 商売の足しになればと、鷹揚な気持ちで清吉を紹介した考えの無さに自分でも呆(あき)れる。
 犬の耳のように髷を頭頂部に二つ作っているのは花魁独特の立兵庫といわれる前からある髪形なのだが、その髷をもっと固く細く尖(とが)らせて鬼の角のように高くしているのがあか抜けて見えるし、他の誰とも違う一津星の冷涼な魅力を醸し出している。
 自分も一津星のようにしてくれとあちこちの花魁から清吉に声がかかっているという噂にもなぜか腹が立つ龍田川だったが、
「いや、それほど忙しいわけでもないですが、これも花魁のお心遣いの賜物(たまもの)と感謝申し上げます」
 と鏡越しに本人に丁寧に言われてしまうと、
「それは商売繁盛でようござりんした」
 と返してしまう。
 悋気(りんき)を起こしてしまうのは自分が一津星に劣っていると認めているようでもあるし、もしかすると清吉を一津星に奪われてしまったらどうしようという恋心なのだろうかと判然としない思いを抱えたままの龍田川に清吉が、
「前々から気になっていたんですがお尋ねしてもよろしいですか」
 と尋ねてきた。
「なんなりと」
 新しい髪形を持ちかけられるならことによっては受けないこともない、と龍田川は考えていた。
「花魁、この襟の奥に膏薬(こうやく)みたいなものがいつも貼られているのはなんでしょう」
「ああ、これかえ」
 龍田川は微笑(ほほえ)んだ。
「色気のないことで」
「いえ、話しにくいことなら無理にお聞かせいただかなくてもよろしいんですが」
 清吉は慌てたように結っている手を素早く動かした。
「お床入りになる時にはうまく取りやんすゆえ、お気になさらずに。惚(ほ)れた男のつまらぬ名前とも、男に無理矢理入れられた焼鏝(やきごて)の痕(あと)ともお好きに思いなんして」
 龍田川の色気ある返事に清吉も困ったように、
「花魁の真っ白なお肌に焼鏝なんてできる男がこの世にいるとは思えませんなあ」
 と笑った。
「最近はいろいろ肩の凝ることもござんしてねえ。それよりわちきの話を聞いてもらえましょうか」
 と龍田川は話を誤魔化(ごまか)すように、次から親父(おやじ)を断ってくれと言った孝行息子の申し出をどうしたら良いものかと清吉に相談を持ちかけた。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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