よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第四話 星形のしるし

島村洋子Yoko Shimamura

   四

 角海老楼は吉原でもかなりの老舗(しにせ)である。
 さすが名のある店だと客に感心されるような美人が多かったが、中には幼いうちから花魁にしようとしたけれどそれほど人気も出ず、花魁にくっついて商売をしつつ年齢とともに段々、落ちていかざるを得ない女もいた。
 いわば不良在庫のような女たちなのだが、そこにお歌も入っていた。
 たいして気の利くほうでもなく特別の器量好(よ)しでもない。
 これと言って相手の印象にも残らない女であったが、そういうぼんやりしたところが他人の商売を邪魔しないので使うほうには便利らしく重宝され、部屋を持てない新造として糊口(ここう)をしのいできていたが、そろそろ崖っぷちに立たされているのはお歌自身も気がついていた。
 売られてきた時の借金は増えはしても減りはしない。
 着物から何から自腹のものが多く、一旦身を沈めて仕舞えばどうしても抜けられない塩梅(あんばい)になっているのが吉原という場所である。
 年齢がかさんでも使い勝手が良ければまだ番頭新造になって生きていけるかもしれないが、もしかすると入口の脇の格子の中に入れられる日も近いとお歌が内心、怯(おび)えていたある日のことである。
 仕事を終えてあたりが明るくなって気づいたのだが、枕元に黄表紙が置いてあった。
 昨夜の客が忘れていったのだろう。でっぷりとした中年男だった。
 お歌は禿(かむろ)の頃から文字を読み書きすることが得意で、本があれば時間を忘れるタチだった。
 古ぼけた表紙には「古今東西美女噺(ばなし)」という何やら興味をそそられる題が書かれてあったので、お歌はパラパラとその本を眺めてみた。
 ほとんどが天竺(てんじく)や唐(とう)の有名な女の逸話だった。
 病弱で色気なく痩せ細って嫁の貰(もら)い手がなかった女なのに、その痩せた姿が妙にそそられると天竺の王に気に入られて王妃になった話、顔はそうでもなかったが古い漢詩をいくらでも暗唱できた女が王妃の教師となり、ひいては大臣の息子の妻になった話など、人生はどこに好機が転がっているかわからないから現状を嘆くなといったような、いまのお歌を励ましてくれる話であふれていた。
 お歌は夢中になって読みふけった。
 その夜からしばらくしてどういうわけかお歌は大人気になったのである。
「お歌さんは髪も様子もあか抜けてるからねえ」
 と下っ端の女郎たちが噂(うわさ)でもなく悪口でもなく囁いているのに出くわすようにもなった。
 髪も着物もほとんど変わっていないのに、お歌は内心怖くなった。
 押すな押すなの人気でなかなかお歌に相手をしてもらえず、怒って帰る者もいるほどだった。
「もしかすると花魁の成駒(なりこま)さんよりも売りあげるんじゃないのかえ」
「しっ、めったなこと言うもんじゃないよ。うちの花魁たちはみんなすごいんだから」
「そういや、春日屋の一津星さんの絵姿、見たかい。いやあ、新しい髪であか抜けてたよ」
 女郎たちは新しく流行るものに敏感である。
 自分もそういうものを進んでうんと取り入れないと、とお歌が思った時に、
「また品川のご存知(ぞんじ)さんがいらっしゃいましたよ」
 という声がした。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

Back number