よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第四話 星形のしるし

島村洋子Yoko Shimamura

「じつは私は日本橋(にほんばし)の海苔(のり)屋の倅(せがれ)です」
 口をぬぐったあとに新兵衛は言った。
 はて日本橋の海苔屋と言えば、と龍田川は気づいた。
 日本橋の海苔屋の旦那で、ここにきて三日に上げず通って来る男がいることに。
「もしかして、日本橋の田中屋(たなかや)様の」
「そうです。忠左衛門(ちゅうざえもん)は私の父です」
 言われてみればなのだが、新兵衛の目元は父親に似ている気がする。
 しかし何ゆえ父親が買った遊女を高い金を払ってまで見たいのだろうか。
「母が生きていた頃はまわりが心配するほど真面目(まじめ)一徹の父でしたが、母がなくなってからは腑抜(ふぬ)けのようになってしまいました。先祖代々の商売で、店のほうは番頭たちもしっかりしているので大丈夫ですが、父が店の金に手をつけたのが発覚しまして」
「ええっ」
 龍田川は息を呑んだ。
 花魁は直接、客とは金のやり取りはしないといっても、どのくらいかかっているかは想像がつく。
 田中屋忠左衛門は派手な呑み方をするわけではなかったが、払いの良い上客であった。
「もう五十も近くなっている父ですから、今年のうちに隠居してもらって、ついては私が五代目田中屋忠左衛を名乗ろうということになりましたが父が頑として首を縦に振りません。ならば吉原通いはやめてくれと申しても、それもいやだという始末でして、こうなれば花魁のほうから父を振っていただくしかないと恥ずかしながらお願いに来た次第です」
 真っ直(す)ぐな眼差(まなざ)しで新兵衛は続けた。
「吉原というのはどんな悪所で、花魁というのはどんな魔物かとヒヤヒヤしながら酒も呑めぬ不調法な身でこの春日屋さんにお伺いしましたけど、美しい調度にうまいものだらけ、龍田川さんも心根の優しい良い方だとお見受けいたしました」
「いえ、こちらは何も、お恥ずかしいことでありんす」
 龍田川は頭を下げた。
「とはいえ、このまま父の好きにもさせられませぬ」
 そう言う新兵衛の顔には名状しがたい何かが浮かんでいるのを龍田川は見逃さなかった。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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