よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第四話 星形のしるし

島村洋子Yoko Shimamura

「いくら母が亡くなって寂しいとはいってもあんまりだと思いますが、仕事はきっちりとする父でありますゆえ、私からは意見もしにくうございまして」
 とはいえ商売なのだからよっぽどのことでもないと花魁のほうからは来るなと言ってはくれないだろうし、隠居して金が自由にならないところに父を追いやりたいが聞く耳持たずだし、そのうち飽きるかと思えば逆にのめり込む一方で、と忿懣(ふんまん)やるかたないといった様子の新兵衛は帰り際に草履(ぞうり)を履きながらぼやいた。
「それ、面白いですなあ」
 えっ、と驚いて大きく目を見開いた新兵衛に、
「いや、これは失礼いたしました。面白いというのは愉快ということではございません」
 と護久は慌てて頭を下げた。
 そしてどういうわけか莞爾(かんじ)と笑ったのである。
 それからしばらくして護久はご満悦になった。
 日本橋の老舗海苔屋の新兵衛が、
「最近は父も落ち着きまして家業も順調で、年明けには私が五代目忠左衛門を継ぐことになりました」
 と稽古に来るなり満面の笑みで言ったからである。
「おお、それはそれは良うございましたなあ」
 口にはせずともそれは自分の功績であると護久は誇らしかった。
 茶の湯の本質は相手をもてなすことで、相手の好きな花を飾り、相手の好むであろう軸を掛けるがそれはすべてさりげなくであって絶対に口にはしない。
 これがお好きだろうと思いましてと言えば最後、それは我欲となり相手を置き去りにしてしまうことになる。
 護久は新兵衛のために好きではない女のもとに通った。
 花魁など下品の極みだと勝手に思っていたが実際のところは気遣いもあり教養にあふれ、これは大金を取られても仕方ないと護久にも学ぶところがあった。
 春日屋の花魁の龍田川は、男女の仲の手練(てだ)れだというのにどこかしら若い娘の純粋さも感じられ、女というのは不思議な生き物なのだなと改めて感じさせたし、もうひとりの角海老楼のお歌という留袖新造は気弱そうなのに何かに魅入られたような運の強さがあった。
 このお歌のもとに通うようになったのは偶然である。
 たまたま入った浅草(あさくさ)観音近くの蕎麦(そば)屋で、隣の席にいた若い好いたらしい男がひそひそと年配の男に相談しているのを耳にしたのだ。
 なんでも若い男は両国の呉服屋の倅なのだが、父親が吉原の女郎に入れ上げていて商売がおろそかになっているのをなんとかならないかというような話だった。
 どこかで聞いたようなことがあちこちにあるのだなあと当初はぼんやり聞いていた護久だったが、男たちの話は途中から俄然(がぜん)面白くなった。
「いやそれがね、その女郎の首だかなんだかに星形のほくろがあって、それを見た者は突然、運に恵まれるというのだ。博奕が急に強くなったり、はたまた本業がうまくいったりで」
 それを聞いて護久は海苔屋のついでに呉服屋の親父の始末もしてやろうと考えた。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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