よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第五話 夏ざかり宴競べ

島村洋子Yoko Shimamura

   六

 宴の最中、鯉(こい)の滝登り柄の帯を締めた龍田川は終始微笑んでいた。
 花魁として威厳を保たなくてはならないので、もっと口元を引き締めていたほうがいいのだろうが、生まれて初めて見る打ち上げ花火は豪華で美しく、絵で見たり噂に聞くよりも本物はもっと素晴らしかった。
 これを老いも若きも江戸にいる者は皆、夜空をふり仰ぐだけで見られるなら、しがらみのない身体というのはどんなに自由で良いものであろうか。
 なんの因果か赤児(あかご)の折に拾われて吉原で育ち、禿(かむろ)となって花魁まで上り詰めた自分より世間の人は幸せに生きていると思えば切なかったが、高いところで見る花火は龍田川の心を弾ませた。
 下からもこちらが見えるのだろうか、道を歩く人々の「やっぱり花魁は綺麗だねえ」といった声が聞こえて来ていた。
 世間の人に自分はどう思われているのだろう。
「どうだい、花魁」
 今回の宴を催した両替商の新五郎が嬉しそうな笑みを浮かべて言った。
 よくいる吉原の客とは異なり、どこかいなせで若々しい新五郎といると龍田川は商売と言うよりは本当に惚れた腫(は)れたという若い男女の真似事をしているような気持ちになることがあった。
 やはり今回の礼にキセルを渡そうか。
「ええ、ほんにありがたいことでありんす」
 そう龍田川が言い終わらないうちに近くで大勢の喚声(かんせい)が上がった。
「なんだ、なんだって言うんだ」
 龍田川はおっとりと上座にいたが、新五郎は立ち上がって下を見た。
 そこには信じられない光景が広がっていた。
 眼下の吉原の町のその一角だけに我も我もと人が押し寄せている。
 その上部、つまり新五郎がいる櫓と同じ高さに目を戻すとそこにはまるで自分たちがいるのと同じような櫓が作られており、そこも宴がたけなわであるらしい。
 やはり花魁が上座にいて三味線の芸者も何人か、禿やら太鼓持ちやらも見える。
 なぜ自分が突然、思いついたことをそのまま真似されているのか。
 おとといの夜にここを通りかかった時には何もなかったではないか、そんなに急にこんなにそっくりなことができるものだろうか。
 しかも旦那であるらしい男がまるで正月か棟上げの時にやる餅(もち)まきよろしく金をばら撒(ま)いているようなのだ。
 もちろん小判というわけではないようだったが、人々はすさまじくあさましく、手にしたものを我も我もと奪いあっている。
 吉原というのは夢のような楽しみを求め、それなりの余裕のある者が集まるところだと思っていた新五郎は頭を殴られたような思いがした。
 よくよく見れば撒かれているのは一文銭のような端た金ではなく一朱銀のようでもある。
「あれはなんだ、どうしたことだ」
 新五郎は近くにいた太鼓持ちに尋ねた。
「は、はい、すぐに訊(き)いて参りやす」
 そう言って転がるように走り出す太鼓持ちの背にも大きな花火が映っていた。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

Back number