よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第五話 夏ざかり宴競べ

島村洋子Yoko Shimamura

   七

 吉原の大門にある四郎兵衛会所に勤めている寅吉(とらきち)はその日、嫁に行った姉の子どもを任されて大川端の花火見物に来ていた。
 今年、四つになる姪(めい)のお稲(いね)はあまりぐずらない気性の良い子だったが、それでも独り身の寅吉には荷が重く、手を引いたり抱っこをしたり、飴(あめ)を買ってやったりしながら慣れない子守りに難儀していた。
 時分になってようやく花火が上がり始めたので、よく見えるようにとお稲を肩車してやり、人混みの中を両国橋(りょうごくばし)のそばまでそろりそろりと歩いた。
 お稲は肩の上で嬉しそうにきゃっきゃと声を出していたが、寅吉は落とさぬように釣り合いを取らなくてはならないので自分は顔を上げて花火を見ることもできず、仕方なく行き交う大勢の人の表情を見ていた。
 みんな花火で頬(ほお)を照らされ、満足そうに笑っている。
 なにせ年に一度の花火である。
 商売柄いつも吉原で美人を見慣れた寅吉なのに、紅潮した女たちはこれまた格別に美しく見えた。
 寅吉はいい年になるが、まだ嫁を娶(めと)ってはいない。
 わけのわからぬ手紙を拾ってしまってなんの因果か死人と夫婦(めおと)にさせられかけて以来、女を怖がっていたのだが、こうして空を見上げている無垢(むく)な若い女たちを眺めていると嫁を迎えるのもまんざらでもない気持ちになって来る。
 そうこうしているうちに、
「あれっ」
 と寅吉は我知らず声を上げた。
 次々とすれ違う女の中に見知った顔があったからである。
 紫の頭巾で鼻のあたりまでおおっている若い女の隣にいる年増にどうやら見覚えがある。
 絵姿で見たのだろうか本人を知っているのだろうかすぐには思い出せなかったが、日々、女の顔を覚えておくのが仕事の寅吉である、間違いはない。
 自分が見知った顔というのはほぼ間違いなく吉原の女である。吉原の女が外を歩いているとなると、甲斐性のある旦那を見つけてめでたく落籍(らくせき)された女であろう、女郎が逃げおおせるわけはないのだから。
 自分が吉原に入る頃、東雲大夫(しののめだゆう)という花魁が伊豆(いず)の分限者に落籍されたというのは噂に聞いたことがあるが、ここ当分、落籍された女などいなかったはず、ということははて誰だろう。なにしろいい年の女なので要するに年季奉公が明けたということか、と寅吉は考えた。
 はやり病にかかったり若くはなくなって裏方に回される者もあったが稀(まれ)にコツコツと自力で借金を返し終わり、堂々と大門から出て行く者がいるのでそれかもしれない。
 いやそうだとしてもここしばらくはそんな話、聞いたこともない。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

Back number