連載
城物語
第二話『天命を待つ(萩城)』 矢野 隆 Takashi Yano

「家臣どもは忘れておるのじゃ。儂等の先祖が、徳川にどのような目にあわせられたのかを。奴等は夜になれば町に戻る。牢獄に留まることがない。それ故、忘れてしもうておるのじゃ。防長三十六万石。決して少のうはない知行じゃ。百年もの長き時が、家臣どもから牙を奪いおった。そして儂はそれを止められぬ。今さら、牙を取り戻せと申した所で、徳川に逆らうことなどできぬからじゃ」
 天下は治まりきっている。徳川の世を揺るがそうとする者など、日ノ本のどこを探しても見つからない。そんななかで吉元一人が気を吐いた所で、結果は目に見えている。
「師の教えに命(めい)という物がござりまする」
 おもむろに周南が言った。
「命……」
 静かにうなずいた周南が、顎を優しく撫でた。この男が初めて見せた人らしい仕草である。
「人には生まれもった命がござりまする。民はどれだけ学びたいと思うても、書が無きために学べませぬ。それは民に与えられた命にござります。学べぬという想いに囚われることは、暗き道に迷うがごときこと。己が命を受け入れ、与えられた場所で懸命に精進する。足ることを知ることこそが肝要にござります。足らぬと嘆くは時の無駄にござる。達材成徳。己が材を達して徳を成せば、大器は大成し、小器は小成いたしまする」
「己が材を達して徳を成すか」
 周南が深くうなずいた。
「殿には殿の成すべきことがござりましょう。それを成すのみにござりまする」
「儂の成すべきことか」
 解らない。
 家臣たちに、毛利が与えられた苦悩を思いださせるにはどうしたら良いのか。そしてそこに、己の材を達する道が本当にあるのか。
「学問所を御作りなされ」
「学問所か」
「殿の御言葉は、私には家臣達を導きたいという悲痛な叫びに聞こえまする。学問所を作り、家臣の子息を導くことで、殿の御心は幾何(いくばく)なりと晴れましょうぞ」
 学問所……。
 闇に迷う吉元に、周南の言葉が一条の光となって閃く。
「考えてみよう」
 吉元のつぶやきに、周南は黙したままうなずいた。それから半刻あまり、吉元の問いに生真面目に答えた周南は、静かに城下に戻った。一人自室に残された吉元に、近習が新たな茶を持ってくる。
 基直だった。
 どうやらこの若者とは妙な縁があるらしい。誰かと語らいたい時、傍にいるのは基直だった。
「待て」
 そそくさと立ち去ろうとした若き近習の背中に声をかけた。基直は肩を小さく上下させて凍りつく。そして、素早く躰を吉元にむけ、深く頭を下げた。
「先刻の男を見たか」
 周南をここまで導いたのは、基直なのだ。それに、吉元と周南が語らい合っていた間も、基直は部屋の外で座していたはずである。
「はい」
 青々とした月代(さかやき)を吉元に見せながら、基直が答えた。
「顔を上げろ」
「はっ」
 伏し目がちの基直の顔には、怯えの色が張りついていた。過日の夜のことを、まだ覚えているようだ。それには触れず、吉元は言葉を続ける。



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〈プロフィール〉
矢野 隆(やの・たかし)
1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。
Back number
第二話『天命を待つ(萩城)』
第一話『戦人の城(伊賀上野城)』