連載
城物語
第二話『天命を待つ(萩城)』 矢野 隆 Takashi Yano

 師の教えを受け入れることに心血を注ぐ朱子学ではなく、学ぶ者みずからが考え、己の足で学びの道を歩む周南の教えのなかで、現状に対する疑問を抱かせる。そうすれば、毛利家が置かれている現状を憂う者が自然と出てくるはず。それは幕府への不信となり、徳川を憎む心となる。
 いますぐに謀反を起こさずとも良い。吉元が存命中に叶わずとも良い。ただ、毛利家の苦悩を、一人でも多くの家臣たちに悟って欲しいのだ。
「大事ありませぬか」
 いつの間にか、基直が立ち止っている。石段を睨みながら考え事をしていた所為で、目の前にある基直の背中に、危うく頭をぶつけるところだった。踏みだしていた右足に力をこめ、衝突は免れたものの、基直の急な動きに腹がたつ。
「急に止まるな」
「申し訳ござりませぬ。あまりにも殿の息が荒うござりました故」
 そんなに激しく息をしていたか。考えることに夢中で、躰のことなどすっかり忘れていた。言われればたしかに、口から忙(せわ)しなく息が吐きだされている。肩も大きく上下していた。それでも疲れたとはまったく思わない。基直に止められたことのほうが、気に喰わなかった。
「疲れた時は申す。御主は黙って歩け」
「承知仕りました」
 若き家臣が石段に足をかける。
「基直」
 登りはじめようとしていた背中に語りかける。基直は手にした提灯をこちらにむけながら、返事の言葉をひとつ返した。
 先刻と同じ場所に立ったまま、吉元は忠実な近習に問う。
「御主は学んだことはあるか」
「幼き頃より、亡き父に書を読めと言われ、孔孟程度ではございまするが」
「師についたことは」
「ありませぬ」
 吉元は深く息を吸い、躰を落ち着ける。
「孔孟はどうであった」
「父に言われて読んでいただけで、なにも解りはいたしませんでした。今となっては、わずかに諳んじられるのみにござりまする」
「そうか」
 腹に力をこめ、吉元はふたたび足を前に運ぼうとした。
「今にして思えば」
 そんな吉元の動きを制するように、基直が口を開いた。仕方なく足を止め、若き家臣の言葉に耳を傾ける。
「父に頼んででも師について学んでおけば良かったと思うておりまする」
「何故じゃ」
「こうして殿と言葉を交わすような時があるとは思いませなんだ。殿に問われる度に、己の浅薄さに嫌気がさしておりまする。何故、あの時もっと真剣に学んでおらなんだかと、幼き己を責めておりまする」
「まだ間に合おう」
「そうでございましょうか」
 基直の問いに、吉元は笑みを返す。
「行くぞ」
「はっ」

 


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〈プロフィール〉
矢野 隆(やの・たかし)
1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。
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第二話『天命を待つ(萩城)』
第一話『戦人の城(伊賀上野城)』