よみもの・連載

城物語

第二話『天命を待つ(萩城)』

矢野 隆Takashi Yano

 この城は牢獄だ。
 風を受けて静かに揺れる灯火を見つめながら、毛利吉元(もうりよしもと)は、そう思った。
 すでに真夜中。一人の閨(ねや)に寝息はない。襖をへだてたむこうには、寝ずの番をする者がいるはずだが、その気配は闇に溶けて吉元には届いてこない。味気ない部屋に一人でいると、この世に生きるのは己だけだと思えてくる。
 毛利三十六万石の主。それが吉元の現在の身分である。従う者も十や百ではない。それでもこうして、布団の上に一人で座っていると、己は一人だという、いたたまれぬほどの寂しさに襲われるのだ。
 叫びたい衝動を抑えるように、吉元は震える手を見つめた。
「なにが大名ぞ」
 毛利は、外様のなかでも有数の名家であり、大家である。元就(もとなり)公以来、中国の地に覇を唱え、豊臣家の元では八カ国百十二万石という巨大な版図(はんと)を築いていた。それが藩祖輝元公の時、関ヶ原の戦において石田三成に与(くみ)した科(とが)で、防長二国に押し込められた。
 防長二国三十六万石は科であると、吉元は思っている。それに、徳川家の苛烈な処断は、減封だけに留まらなかった。
 輝元公が居城とした広島城を、安芸の地を奪われた時に失った毛利家は、新たな城を領内に築くことを強いられる。上関、三田尻(みたじり)、下関という三つの港をもつ瀬戸内への築城は許されず、大内氏が開いた山口の地さえも、幕府は拒絶した。
 そうして選ばれたのが、萩である。日本海に突き出た指月山(しづきやま)の麓に城を築き、南へと町を開いた。いわば萩の地は、徳川への隷属の末に生まれた拠点だった。
 再び反旗を翻せぬよう、京大坂への往還である瀬戸内から遠く離れた萩の地に追いやられることを、毛利は唯々諾々と飲んだ。本来ならば取り潰しとなってもおかしくはなかったのだから、どんな無理難題でも承服するしか、毛利家に生きる道はなかった。
 いまさら先君たちを責めるつもりはない。
 ただ、こうして耐えきれぬほどの寂しさに震えていると、恨み言ばかりが頭に浮かぶのだ。
 海に突き出た萩の城が、心根までも暗くさせる。
「おい」
 孤独から逃れんとするように、吉元は灯火の明かりが届かぬ襖に声をかけた。ゆるりと唐紙が開き、闇になお暗き影が姿を見せる。家臣であると解っているのだが、闇のなかに浮かぶ影を見つめていると、この世の物ではないような怪しさを感じた。
「御呼びでござりまするか」
 幽鬼が声を吐く。その姿があまりに悍(おぞ)ましくて、このまま話す気にはなれなかった。吉元は気だるく手を上げて、振ってみせる。
「近う寄れ」
「はっ」
 一度軽く頭を下げてから、幽鬼は膝で滑るようにして敷居をまたいだ。そして、後ろ手に襖を閉めると、部屋の隅に落ち着いた。
 影にはまだ、光が届かない。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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