よみもの・連載

城物語

第十話『兄ゆえに弟ゆえに(富隈城)』

矢野 隆Takashi Yano

「退(ひ)いてくいやんせ伯父御っ」
「いいやっ、儂(わし)は退かんどっ。退くのは儂やなかっ。わいじゃっ」
 血走った目で叫ぶ甥(おい)にむかって、島津義弘(しまづよしひろ)は怒鳴った。
「おいは義久(よしひさ)様から、伯父御ば守れて言われとうとじゃっ。伯父御を無事に薩摩(さつま)に送り届けないかんとじゃっ」
 甥の豊久(とよひさ)が、馬上で必死に刀を振るいながら敵の群れを切り開いてゆく。その目には、揺るぎない覚悟の光がみなぎっている。
「儂んごたる年寄りを生かしてんなんの意味も無かっ。こいからん世はわいのような若か者(もん)が島津を支えなならん。儂んことは捨てて行け豊久っ」
 矢玉の雨が降り注ぐなかで、義弘は甥、豊久の肩を槍(やり)を持ったままの拳で突いた。
「わいを殺したら、儂は冥途で家久(いえひさ)に合すっ顔がなかっ」
 豊久は弟、家久の子である。己などよりもよほど武の神に愛されていた弟は、三年前に病で死んだ。豊久は家久に似て、戦(いくさ)の神に愛されていた。老齢の己が生き残るよりも、よほど島津のためになる。
「行けっ」
「行かんどっ」
 太い眉を吊(つ)り上げながら、豊久が吼(ほ)える。その間にも甥の右手にある太刀は、敵の首を見事に跳ね飛ばしていた。
「伯父御は島津になくてはいかん御人じゃっ。ここで死んではいかんとじゃ。おい、皆の者っ」
 甥が周囲の家臣たちに声をかけた。
「伯父御を御守りして、かならず薩摩に届けるとじゃ。わかったな」
 方々から声があがる。
「豊久っ」
「早うっ」
 甥の刀が義弘の駆る馬の尻を叩(たた)いた。一度大きく嘶(いなな)いた栗毛が、凄(すさ)まじい勢いで駆け出す。それに家臣達が追従する。
「頼んだぞっ」
 敵の群れのなかに甥が消えた。
「豊久様の御心を無下にしてはなりませぬぞっ、義弘様っ」
「豊久っ、豊久ぁぁぁぁぁっ」
 義弘は敵の只中(ただなか)を甥の名を叫びながら駆け抜ける。
 死に場所を求めた末の戦であった。生き残るつもりはないのだ。ましてや甥を犠牲にしてまで己が命脈を繋(つな)ぐような浅ましい行いなど、死んでも御免である。十五万もの敵味方が入り乱れての大戦(おおいくさ)だ。ここ関ヶ原の地は、死に場所として最高の舞台である。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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